虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「NANA」

toshi202005-09-30

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 大ヒット少女コミックの映画化。であるから、当然のことながら、映画の題材としてはどうよ、という感が大きかった俺だったが、原作に目を通してから、映画を見ていてややその目論見が少し見えた気がした。


 青春映画として見ると…どうなんだろう。あまりリアルではない。
 例えば、奈々(=ハチ 宮崎あおい)とナナ(中島美嘉)の出会う場所。彼女たちは、上京する際に「新幹線」を使い、そこでたまたま出会うわけだが、金銭的に余裕のない人間が、旅行でもないのにいきなり新幹線なんて使うかー、とか、彼氏との同居をやんわりと断られた奈々が部屋を探すわけだが、いきなり7万円もする小じゃれたマンションに住もうとする。しかも、その金額を「安い」と言い放ち、部屋を見て即決しようとしたりとか、するんである。ありえねーだろと思う。
 つまり、奈々&ナナの出会いにしても、偶然の再会から同居する流れにしても、貧乏くさい現実からは切り離されている。それは「映画的リアル」からは遠い。逆に、ハチを結果的に振ってしまう彼氏・章司(平岡祐太)の不倫?エピソードの方が地に足ついている感じがするのは皮肉。

 原作のそういった「有り得なさ」も一緒に、映画は忠実に描き出す。


 なぜならそれは、この物語が「ファンタジー」であることが自明だからだ。


 「NANA。私達の出逢いを覚えてる?」という言葉で始まるナレーションのあとにタイトルが出るわけだが、このモノローグはこの物語が、「未来」のハチが過去である「現在」の回想を語っている、ということを示している。過去は美化される。ハチとナナの、友情と言うよりは疑似レズみたいな関係性も、いわばノスタルジーというフィルターを通して映し出されたものであろう。
 地に足つかない女が語るファンタジーゆえに、この物語はそういった貧乏くささからは切り離されている。原作はキャラクターの心情には寄り添うものの、必ずしもリアルな物語を目指していない。重視しているのは矢沢あい自身の思う「世界観」をきちんと創出することだ。また、大局的に言うとこの物語は奈々という女性が回想する、2つのバンド「トラネス」×「ブラスト」サーガでもある。
 そして、大谷健太郎監督は、あくまでも『大谷健太郎作品としての「NANA」』よりも『矢沢あいの「NANA」実写映画版』という目的を、すべてにおいて重視・優先している。


 映画は、原作の「世界観」や「空気感」、「物語」から、小道具大道具に至るまで、忠実な再現を目指している。特に小道具関係は、原作では物語の重要な鍵として用いられるため、「707号室」「いちごのペアカップ」「南京錠のネックレス」などの、映画化されたエピソード以降の伏線もふんだんに入っている。
 作り手の「NANA」という原作へのこのようなアプローチの仕方は、「ハリーポッター」に似ている。ベストセラー「ファンタジー」である原作の忠実な映画化。それゆえに、シリーズ化を最初から想定した映画なのである。監督の大谷健太郎氏にしても、共同脚本の浅野妙子氏にしても、そういった意図で物語を紡いでいる。映画化する際の「ベーシックモデル」さえ作っておけば、続編の監督が大谷監督でなくても大丈夫だろうし。


 たかだか「少女コミック」の映画化に、ここまで戦略的に映画化しようとした例は稀だろう。そういう意味では、なかなか新鮮なことをやっているなーと感じた。


 あと、ハチを演じる宮崎あおいの巧さに驚いた。こういう女性は下手するとあざとくなったり、嫌みになってしまうのだが、見事に愛らしさを感じさせるあたりはさすが。あとヤス(丸山智己)が出てくるたびに笑っていたよ俺。格好良すぎて。なんだ、あのスカシっぷり。(★★★)