虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「スキャナー・ダークリー」

toshi202007-01-05

原題:A Scanner Darkly
監督・脚本:リチャード・リンクレイター 原作:フィリップ・K・ディック


 フィリップ・K・ディックの「暗闇のスキャナー」の映画化。
 この映画、前評判で聞こえてきたのが、原作どおりだから素晴らしいんだそうである。うむ。なるほど。一応、原作にざっと目を通してから見たのだが、おうおうなるほど、とか思いながら見た。ふむ。なるほど。
 この映画化の目的が、自伝的要素の強い原作の中にあるフィリップ・K・ディックの魂を描ききることで。で、この原作の数少ないSF的意匠である「スクランブル・スーツ」や、ドラッグによる幻覚の描写を低予算で実現するために「ロトスコープ」を採用し、現実と幻覚のはざかいをあいまいにしてみせる。ふむふむ。


 ・・・・うーむ。


 さて。この書き出しのやる気なさっぷりはいかがなものか、と思われるかもしらん。いや、やる気はありますよ。
 だけど、正直に言うけども、原作どおりだから素晴らしい。という言い方がね。面白くない。どうしたって、それは2006年の新作映画のほめ方としては不純じゃねーか、と思うのだよな。この映画に映し出される、ストーリー自体が「今」に即したものではない。ディックが体験した「過去」を基調としていることに、根本的な違和感がある。
 この映画の冒頭に、字幕で「現在」から7年後、と出てくる。だけど、この映画の完成が2006年で7年後だから2013年か。そのころに、こんな社会になっとるけ?と言われると首をかしげてしまうわけなんだよな。
 それはお前が作者の身になって考えないからだよ、とファンは言うかもしれない。でも俺はこう返したい。


 「俺はディックじゃねえ」


 俺の今は「2007年」だ。「1977年」じゃない。
 映画に何を求めるかにもよるんだけどさ、俺は原作ファンを無視してもかまわんのじゃないかと思う。この映画には現在の、もっとはっきり言えばリチャード・リンクレイターにとっての「俺たちのリアル」が、あまりにも希薄だ。過去の絶望が、現代を映しうるか?共通点はあるだろう。だけど、この映画の世界は原作が書かれた当時のドラッグカルチャーがあってこその物語世界なわけじゃない?だったら、現在の背景とは根本的にすり合わないと思うのだ。


 SFというのは「現代」を常に反映してきたジャンルだと思う。ディックにとっての「現在(近過去)」の鏡として映し出したこの物語世界を、「今」の作り手がディック愛が高じて「過去」にさかのぼってまで「2013年」を映し出してみたとして、では「今」の俺らがその体験を共有しうるか?と問われると、かなり難しい。この物語はあまりにも「時代」の色があまりに濃すぎて、時代を超えた普遍を凌駕している気がする。
 この映画が、熱狂的なファンに支持される理由は痛いほどわかる。だけど、この映画は、「現在」の作品としては、どうしようもない「いびつさ」を抱えていると思う。その溝は俺と作品を大きく隔ててしまった気がするのである。(★★★)