虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「姑獲鳥の夏」

京極夏彦のSF(すげえ不思議)ワールド



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「この世には、不思議なことなど何もないのでありますよ、タツミどの。ゲロゲロリ。」

↑●●の標本




 …すいません。



 というわけで(なにがだ)、京極堂シリーズ映画化第1作「姑獲鳥の夏」を見てきました。ファンの間では賛否あるでしょうが俺は好き。いや、楽しかったなあ。


 そもそも京極堂シリーズの肝は、到底「あり得ない」と思える事象を、京極堂が如何にして、関口(読者、または観客)に「有り得る」と納得させるかにある。そこを横溝ミステリーのごとくハッタリなどで誤魔化すわけにはいかないが、さりとて虚実入り乱れる物語の性質上、並の演出・スタッフ・キャストではこのシリーズ特有の味わいは大きく損なわれる。如何にロジカルに語られるとは言え、そこに立ち現れる真実は、関口という狂言回しの精神世界に依存する部分もあり、荒唐無稽な要素が少なからず存在する。


 実相寺監督の白眉は、この話の核とも言える狂言回し・関口巽という男が感じている「精神的薄弱さからくる不安」を見事演出で表現してること、そしてそんな彼の目線から事象を描くことを徹底してることだ。特に眩暈坂の眩暈っぷりとか、実にいい。その「不安定さ」こそが、京極堂のパートナーとしての、彼のアイデンティティなわけで、それをかっちり表現してくる辺りはさすが。時折榎木津や木場修の視点が入るのは…まあ、物語の構成上仕方がないので、見逃しましょう。
 演出では見事な外連を見せるものの、役者陣の演技はむしろ抑制が利いているのも勝因かもしれない。堤真一演じる京極堂は、特有の長台詞にも関わらず口跡は美しく、無愛想で嫌みで饒舌なのにちょっとした愛らしさも兼ね備えたキャラクターになっているし、関口を演じる永瀬正敏はむしろこういうやや精神薄弱な人間の方が合ってる役者なので、こうしてみると悪くない。阿部寛の榎木津、宮迫の木場修も、映像として見ると違和感はほとんどない。(後注:女性ファンは多少落胆するかもしれない。女性向けのサービスはないに等しいと思って頂きたい。実相寺監督だし。)


 まあ、難点と言えば、映像化してしまうと、案外早くネタが割れてしまうところで。榎木津が言う「蛙」というイメージと京極堂が言う「呪い」、「20ヶ月の妊娠」と「赤子誘拐事件」、などのキーワードに、映像というヒントも加わるともう犯人はほとんど絞られちゃうわけで、後はその理由を京極堂が語るだけ、ということになるのだけれど。ミステリーとして楽しむというよりは、その光と闇の演出を駆使した外連や、堤真一の心地よい長口上を楽しむ、という方が正解かも知れない。
 ファンはいろいろ不満があるかもしれないが、ヒットすれば「魍魎の匣」の映像化が待っているぞ!俺はそれが見たいから、この映画を応援する!見に行こう!


 あと京極夏彦先生の演じる、京極堂を訪ねてくる隠しキャラも必見。正体が分かった瞬間、爆笑しましたよ。そうきたか!って感じ。レギュラー化するんだろうか。(★★★★)