虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「デスノート」前編

toshi202006-06-18

監督:金子修介 脚色:大石哲也 原作:大場つぐみ/小畑健
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/deathnote/


 おおおおおおおっ!面白い。意外と言っちゃなんだが、原作が原作だったので不安先行で見たのだ。が、前編だけで言えば、素晴らしい。


 原作を毎週、連載の開始から終了までリアルタイムで追っていて、なおかつジャンプ感想を某掲示板に書いている(最近お休み気味ですまん>暗之云さん)私が言うが、映画版が漫画版を超える可能性を残したと思う。
 あらすじについては、おおまかに原作を踏襲しているので割愛するが、そのアレンジはなかなか振るっている。特に香椎由宇演じる映画オリジナルの幼なじみと、南空ナオミの使い方は唸った。


 で。
 主演の藤原竜也が秀才っぽくない、完璧っぽくないから月役には向いていない、とかいう意見をよく見たが、俺は実に適役だと思った。理由はある。


 原作の欠点は言ってみれば「理屈」の漫画であることだ。そこに身体性がない。夜神月は完璧な優等生でありながら、同時に悪魔じみた天才である。用意周到にワナを巡らせ、策略を練り、なおかつ相手の心理を先読みして「計算通り」に事を進め、ぷちぷちと人を殺していく。彼は眉目秀麗才色兼備。まさに完璧。だが、その完璧はあくまでも「理屈」の上の話だ。彼の計算は、自らを含めたイレギュラーという要素がすっぽり抜け落ちている。
 これだけの男が、ただこういう形の「殺し」にその恵まれた「身体」と「人生」を浪費するか、というと、そこには具体性がない。信念なき「完璧」はあり得ない。夜神月の「完璧な計算」はあくまでも作者という名の神の「サイコロの目」に辻褄を合わせる「装置」でしかなかった。小畑健の絵で「装置」に説得力を与えてはいた(それがなかったら、ここまでヒットしていたか怪しい)が、映像にするとそれは非常に嘘くさくなる。


 そんな人間は存在しないからだ。


 藤原竜也に対して、作り手は完璧なルックスを求めていない。むしろ頭はいいけど「ナイーヴ」で善悪に頓着しない若者*1が「死のノート」を手に入れることで「暴走」していく、という形を採っている。そしてその流れを演じるには藤原竜也のある種の「スキのある」若者というニュアンスが必要だった。
 映画の夜神月人智を超えた「かいぶつ」に魅入られた、哀れな優等生なのである。


 そう。この映画は「キラ」という「かいぶつ」とそれに立ち向かう人々の物語。


 姿なき怪獣映画なのだ。


 ここで金子監督は「ガメラ」シリーズで培った演出をフル活用する。衆人環視の中の殺しを強調する、「街頭ビジョン」での強盗事件実況などの大観衆演出、捜査本部で多くの捜査員が見守る中殺される「リンド・L・テイラー」の姿、それはまさに、モニターの向こう側にいる人間たちの目の前で、「人智を超えたなにか」が行われた瞬間である。大衆はそこに「畏怖すべき存在」を見る。


 クライマックスの演出も同じだ。
 月とL。彼らは共に、殺しに魅入られた「キラ」というかいぶつ、正義のためなら手段を選ばない*2「L」というかいぶつを、身に巣くわせている。


 ともに狂気に魅入られた者同士がラストに対峙する。まるで二大怪獣が向かい合うかのように。



 後編を通して、このシリーズが傑作となるか否かは、二人の狂気の行き着く先を描ききれるかに懸かっている。期待して後編を待つ。(★★★★)


11/05追記;
虚馬ダイアリー:「デスノート」後編感想
id:toshi20:20061103#p1

*1:この辺は「賭け試合」や、シブタク殺害のくだりで特に強調されている。

*2:彼は夜神月「キラ」である、という確証を得たいがために、南空ナオミと幼なじみを見殺しにしている