虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「日本のいちばん長い日」(1967年製作)★★★


 8.15に何が起こったか。ポツダム宣言受諾から玉音放送に至る24時間における事件・事実の数々を、記録映画風に積み重ねることで、大日本帝国、断末魔の悲鳴を描いた喜八映画最大規模の大作。


 「儀式は必要だ。なんせ、大日本帝国の葬式だからな。」という志村喬演じる情報局長の台詞があるが、この映画の前半部で描かれる事実の一つ一つがまるで厳粛な儀式のようである。だから、儀式嫌いの俺なんかは退屈でしょうがないのであるが、その儀式めいた前半部で提示された事実が、陸軍・空軍の暴発へと連なっていくことで、この映画は「物語」としてエモーショナルに加速し始める。


 だが、「物語」というのは、時に作り手の意図を超える仕業を見せる。


 そもそも喜八監督がこの映画を引き受けた理由というのは、ポツダム宣言玉音放送への煩雑な手続きに右往左往する政府首脳や、てめえらの勝手な論理で反乱する軍部の悪あがきに終始するみっともない姿を、事実を踏まえながら「滑稽」に描き出すことだった気がするし、実際その意図は多分に見える。ところが、この映画は、前半部という山場を超えたあたりから、その意図を明らかに超えて暴走する。


 事実を積み重ねていこうとする作品である以上、史実に正確でなくてはならない。政府首脳らの台詞はあくまでも「議事録」や「なんとか書簡」あたりからそのまんま引用してきた言葉であろうし、そのような「記録」には魂の込めようもない「公的」な言葉が書き連ねてあるのみだが、「証言」などから取り出したであろう、暴発した軍人達の言葉には人間の「生」の感情が宿っている。純粋に軍人であろうとするあまりついには狂気に至る畑中少佐(黒沢年男)、政治家と軍人としての狭間で苦悩し、割腹自殺へと至る阿南陸相三船敏郎)、切腹するつもりだったが畑中少佐の純粋さに打たれて反乱行動に荷担してしまう井田中佐(高橋悦史)など、暴発した軍部の方に魅力的な登場人物が多数出てしまう。同じ滑稽さでも、感情の起伏の少ない政府首脳に比べ、存在理由を懸けた軍人達の暴発の滑稽さは、「愛すべき滑稽さ」として置換されてしまっている。


 まあ、それでも「終戦」が決定的と知りながら、特攻を送り出してしまう伊東雄之助演じる野中大佐の行動などに、軍部の論理のくだらなさが見えるのだが、結局は魅力的なキャラクター群にすべてかき消されてしまう。それは岡本喜八監督の最も危惧することではなかったか。


 虚構ではなく史実を描こうという意図も災いし、喜八監督としては演出的にもかなり腰回りの重い作品となってしまった。映画は「愛国的映画」としてヒットし、これを岡本喜八監督の代表作とする人もいるが、この映画は最も「岡本喜八らしからぬ」映画ではなかろうか。