虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

かりそめの夜に、永遠の太陽を望む。

toshi202005-03-22



 いきなりだが、俺は孤独である。ああ、孤独だともさ。愛がないともさ。


 映画を見に行くのは孤独を癒すためだけではなく、孤独を確認するためである。孤独であること。愛がないこと。その揺るぎない現実を確かめにいくのだ。生半可な癒しで、魂は救われない。


 「エターナル・サンシャイン」を見た。


 主人公はジョエル(ジム・キャリー)。彼は孤独だ。退屈な人生。職場と家との往復の繰り返し。情熱も消え失せた。彼は会社をさぼり、衝動的に旅に出る。自分にこんな事が出来るなんて驚きだと彼は言う。向かった先は冬の海。誰もいない海岸は、自分の孤独を一層浮かびあがらせる。何故こんなところに来たのか。わからない。だが、現実。


 そこに一人の女性が現れる。しかし、彼は知らない女性は苦手だ。話しかけることもなく、海岸を離れる。だが、彼女と行く先々で遭遇。なぜか絡んでくる。帰りの電車で、彼女は話しかけてくる。彼女の名前はクレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)。饒舌な女だ。だが、なぜか話していて、まるで符丁を合わせたようになんかしっくりくる。なんとなく意気投合する。こんなことがあるのか。わからない。だが現実。


 何回か一緒に出かけ、彼女を家まで送ったある日、一人の青年が話しかけてくる。彼はこう言う。



 「…なんであんたがここにいる?」


 映画は、そこから時を遡る。
 この映画は、ジョエルが「退屈な人生」へと向かう物語。記憶をめぐる物語だ。


 それは恋人たちの記憶。別れの前の辛い記憶。時に苦しみを分かち合い、時に楽しみを共有しあったことも、なにもかも。それをなにもかも捨ててしまった、愚かな、愚かな恋人たち。
 先に捨てたのは彼女の方だった。彼女の人生から、突然ジョエルは消されたのだ。慟哭し、絶望するジョエル。彼は記憶を消した医者を探り当てて説明を受ける。辛い現実から逃れるために、彼女は記憶を捨てたのだと。だが、彼の絶望は消えない。彼は決意する。彼女との記憶を消す。全て。
 契約し、そして記憶の消去をすべく、スタッフたちは作業を始める。彼は記憶の中で目覚める。彼は記憶の世界に居る。いつも彼女と一緒の時の記憶。


 そして世界は消え始める。


 辛い記憶。楽しい思い出。彼が消したくない記憶まで消されることに抗いながら、しかし容赦なく消されていく。そのたびに、彼は「孤独」へと近づく。彼がもがきながら必死に抗う姿を見ながら、俺は笑う。愚かで哀しい、彼のその姿。実に可笑しい。シュールな崩壊劇。


 記憶が消されていくたび、俺はジョエルが愛おしくなる。


 だが、この映画が終わる頃、俺は泣いていた。笑っていた俺が、実は一番哀しい。心のどこかが悲鳴を上げる。そうだ。俺は愛を欲しているんだと。太陽が沈み、夜が来る。その闇の中でこそ、我々は光を欲するのだ。


 愛するとはなんだ。愛されるとはなんだ。それは必要とし、必要とされる相手と共にいること。

 
 愛する人がいる人も、そうでない人も、このSF(すこしふしぎ)話に触れてほしい。面白うて、やがて哀しき恋愛悲喜劇の傑作である。