虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「潜水服は蝶の夢を見る」

toshi202008-02-23

原題:Le Scaphandre et le Papillon
監督:ジュリアン・シュナーベル
脚本:ロナルド・ハーウッド
原作:ジャン=ドミニク・ボビー



 開幕。どこかのベッドに寝かされている。意識はある。目も見える。目の前には人もいる。目の前にいる人間は・・・医者。中年。医師はこっちに向かって話しかける。どうやら、パリからこちらの病院に回されたようだ。医師は質問する。俺はそれに答える。答えたはずだ。だが、相手のリアクションがおかしい。聞こえてない。何度も話しかけてみて気づく、話せて・・・ない?俺が話せていない?口だけじゃない。手、足、体全体がまるで動かせない。触覚は健在なのに、筋肉が動かない。
 動かせるのは・・・目だけ。しかも右目は閉じることが出来ないため、まぶたを縫いつけられてしまう。


 こうして、男の「魂」と「外界」をつなぐのは、聴覚、視覚、触覚。そして左目のまぶただけとなった。


 まばたきだけで、本をつづった男の話である。


 かつてのプレイボーイだった面影が消え失せた自らの姿に絶望し、壊れた身体の中で意識だけがある苦しみ。家族を抱きしめることもかなわぬ自らの非力を、自嘲気味に語る。その壮絶な身の上話自体もかなり興味深いものではあった・・・が。


 それ以上に自分が戦慄するのは、実はこの映画は、この状態の彼がかなり「幸運なケース」だということだと思う。外から見る彼は、とてもじゃないけど、意識のある人間には見えない。それでもなお、彼自身が色んな人々から、意志のある人である、と認識されるのは、外界と接続したい!という、元来の強い意識ゆえにほかならない。
 もし。もし、そのこころが弱かったなら。もし外に向かってメッセージを発したい!と強く願わなかったら、我々はこの物語を知ることはないばかりか、彼はそれこそ深海に潜水服でただ一人、永遠に近い孤独を感じたまま死ぬまでそこにいつづけなければならなかったはずだ。


 この映画の主人公は、決して共感しやすいキャラクターではない。前妻の声を通して、元愛人に「きみにあいたい」と伝えさせるシーンに代表されるように、非常に身勝手で女たらしで自己中な男でもある。だが、この映画が描くこの病に打ち勝つ精神力は、決してきれい事では克服しきれないものだろうと思う。そして彼はみずからのきたなさも醜さも、迷わず出していくことによって、外界につながりを持って行く。
 言語療法士は女性だが、彼女と出会えたことも大きかったに違いない。彼女の粘り強さがなければ、この映画が作られるきっかけすら、生まれ得なかった。彼女は若くて美しいが、その裏にさまざまな挫折と試行錯誤の繰り返しで得た経験を感じさせる。


 この映画を見て、俺が思うのは、この物語がさまざまな幸運が折り重なって生まれたものであるということだ。もし、どれかひとつ、ボタンを掛け違えていれば、主人公は孤独と絶望にのたうちながら、自殺も発狂することすら出来ずに死を待ち続けなければならなかったろう。それこそ真の地獄だ。そして、そのケースは、決してないとは言えない。
 そのことをこの映画は存分に教えてくれた。そしてこの映画は、その物語は、内容云々よりも、その存在自体が奇跡である。一筋の蜘蛛の糸を幸運にもたどれた男の話なのだということ。その事実にとにかく圧倒されたのだった。(★★★★)