虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ペルセポリス」

toshi202008-01-04

原題:Persepolis
原作・監督・脚本:マルジャン・サトラピ
共同監督・共同脚本: ヴァンサン・パロノー



 個人的にイランの青春群像の傑作と思う「オフサイド・ガールズ」*1と対を為して語られるべき、イラン人女性の個人史。


 
 他国文化に憧れを抱きながらも、欧米列強により混乱を増す故国の政情に否応なく巻き込まれる「少女」マルジ。多感な時期にヨーロッパに単身留学を余儀なくされ、その文化にさらされながらも、イラン人であることから逃れることはできずにいるマルジの青春。彼女は傷心での帰国を余儀なくされる。
 「オフサイド・ガールズ」も「ペルセポリス」も、上手いなと思うのは、他国の文化を映画のストーリーにきちんと絡めていくこと。他国の文化にも恋愛にも無邪気にあこがれる姿を、素直に出すことで、「イラン人女性」もまた普通の「オンナノコ」である、という形をきちんと出していくし、「愚かさを繰り返した過去」をさらすことで、逆にマルジの愛すべき人間くささが出ていると思う。
 アニメーションというジャンルの、無国籍性を勝ちうる「戯画化」、省略による「スピード感」を生かすことで、逆に「他人事でない話」として、きちんと消化できていると思う。


 この映画で重要なのは、「なぜ彼女は多感な時期を、親元から離れてヨーロッパで過ごさざるを得なかったか」を考えることだ。彼女はその時期のことをあまり肯定的には描いていない。あるのは「平穏に暮らしていてなお、消えぬ罪悪感」そして「自分の愚行の数々」。もし留学していなかったら。彼女はどうだったろうか。そのことを彼女はあえて描いてはいないが、彼女の中では大きな傷があることだけを披瀝するにとどめたところに、作者の賢明さがある。癒しようもない孤独と、それゆえに傷ついた日々。それを勇気を持って晒すことで、イラン人が様々な形で、失ったものがあることを描いている。
 女傑でいつまでも若さを失わないおばあちゃんとのエピソードの数々、革命に翻弄された叔父さんとの思いでなど、高い理想と非情な現実に押しつぶされた人々への視線を入れることも忘れない。彼女自身は愚かさを抱えていても、それでも多くの人々の「死」と「生」を抱えながら、今もフランスで生きている。


 イランの一女性であった自分自身を愚かさも含めてさらすことで、個人史であるだけではなく、イラン人から見た「グローバル化される世界」への批評も備えた秀作ではないか、と思います。(★★★★)

*1:あの映画のオリジナルポスターはサトラビ監督の作とのこと。