虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「天使の分け前」

toshi202013-04-14

原題:The Angels' Share
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァーティ


 終身刑というものがあるのならば。そこは終身刑の場所だったのかもしれぬ。
 俺はもう、何者にもなれぬ。何者であることも許されない。そう思って生きてきた。



 暴力沙汰で相手に一生残る後遺症を残して、ロビーは収監されていた。出所したものの、再就職もままならない。そんな憤懣が、体の中に澱のようにたまっていく。そんな憤激は、同じ町の、親の世代から続く、同じ民族同士の「諍い」による暴力しか生み出さない。暴力は暴力を呼んで収拾が付かない。俺はもう、一生このままか。誰かを傷つけなければ生きていけないクズ。しかし、そんな男に子供が出来ることになった。
 彼の奥さんの一家からもクズ認定され、忌み嫌われるロビーだが、子供を持ったことで「暴力には生きぬ」と決めた。彼自身の命を賭けた誓い。その誓いのためにも、俺は「何者かにならねばならぬ。」そのきっかけがずっと欲しかった。
 出所後に起こした暴力沙汰で裁判所から奉仕活動を命じられ、集合場所で待っていたのが、現場責任者でウイスキーをこよなく愛好する中年男、ハリーだった。彼との出会いによって、ウイスキーの会に出たことで、ロビーはある「天啓」をもたらされることになる。彼には、ウイスキーテイスティングの才能があったのである。


 この映画はコメディタッチだが、ケン・ローチ監督の目線は変わらず「弱者」に向いている。学を持つ機会すらなく、学も、労働経験も、技能も得られぬままに、世間から受け入れられぬ「若者」の憤懣は暴力へと向かう。政治の不備による格差によって、陥る現実を真っ正面から描く前半部は、なかなかに重い。特にロビーが裁判所が決めた定期的な面談で、かつての被害者と向き合い、過去の自分の犯した罪を思い出させる場面などは「暴力が生み出すものが悲劇しかない」という監督の哲学が見えて、観客の腹にドンと重いパンチを打ち込んでくる。
 しかし。それでも変わらねばならぬ。かつてのクソのような生活にだけは戻らない。だが、「尋常な手段」では俺は一生、クズのまま。この街にいたままでは俺は一生「浮かばれない」。
 変わるきっかけ。ロビーはそのきっかけを逃さないために、ある高級ウイスキーを巡る大計画をぶち建てる。仲間は「奉仕活動」で出会った、癖のある3人の友人たち。彼らとともに、ある蔵で発見された歴史的傑作ウイスキーの「試飲会」へと乗り込んでいく。


 この映画の面白いところは、ロビーがこだわるのは「金」ではなく「職」の方であることだ。この映画は後半、一種の「犯罪劇」の様相を呈してくるのだが、この映画に置ける「人生の大逆転」の意味はそこにはない。もっと現実的に「変わる」きっかけを作ることが、ロビーという青年がこの「計画」をぶち建てる眼目である。
 その事は、仲間の1人が計画が成就したけた時、ある「大失態」を犯すのだが、ロビーはそのことを咎めずに、むしろかばって、報酬も均等に彼に分け与えていることでも明かだ。彼にとって重要なのは「金」ではなく、「生き方を変える」ことなのである。


 だから、ラストにロビーがハリーへ送る贈り物は最高に粋だ。「ギフト(才能)」に気づかせてくれた、ハリーへの「ギフト(贈り物)」。この映画は痛快犯罪コメディではなく、1人の青年が誰も「傷つけず」に「新しい社会」へ旅立つ物語として収束するのである。(★★★★)