虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

仕事場で覚めない悪夢を見る

 わたくしは新聞印刷の会社に勤めている。


 うちの会社は基本的に、製作・画像、という上流工程と、印刷(輪転)・発送、という下流工程に分かれている。


 私はもともと印刷の人間だったのだけど、去年まで上流工程にいて某Sニチやら某Tスポなどの紙面作成のお手伝いをしていた。Tスポなどは大変にプロレスに紙面を割くし、試合結果などはその部署で作成したりするので、メジャー、マイナーを問わず、仕事中に試合結果を知ることも多かった。
 印刷時代の後輩に熱心なプロレスファンがいて、そいつに連れまわされているうちに、すっかりプロレスのとりことなっていたので、そういう意味では非常に楽しかった。
 そして去年、私は「印刷」の仕事に戻った。輪転機を回す仕事である。


 新聞というものは。印刷所から離れている地方のものほど早めにする。だから、紙面は文化面など数日前に紙面作成を終えて確定しているもの以外は、版ごとに更新されていく。大事件が起こった場合、紙面はめまぐるしく変わる。紙面が大幅に変わると版が降りるまでに時間がかかり、それだけ刷るのが遅くなる。遅くなればそれだけ発送が送れ、販売店に迷惑をかけることになる。情報と時間。新聞はそれが勝負。
 9.11事件が起こった日も、私は現場にいた。あの日のことはいまも鮮明に覚えている。最初、新聞の紙面に「テロ」の文字はなく、「事故」であるとされた。始めは写真もない。死亡者の数は版を重ねるごとに増え、事故の文字が「テロ」に変わる。降版待ちの間、休憩室に行くと「二つの塔」に飛行機が突っ込んでいき、すこし立ってビルは倒壊していく。テレビから引き抜いた写真が1面に載る。嵐のような仕事の中で、慌しく事件を体感してしまう因果な仕事である。


 あの日の記憶。それが今日。鮮明によみがえってきた。いやな。あのいやな感じだ。スマトラ沖の大津波の時、版を変えるごとに死者数がふくれあがっていくあの感じ。


 はじめは「心肺停止」だったんだよ。M新聞の社会面のすみっこのほうに、ちょこんと載ってたの。「三沢選手、試合中に頭を打ち心肺停止」と。



 「心肺停止」という言葉でなんとなく思い出したのは、東京マラソンで倒れた松村邦弘のことで、走っている途中で一時心肺停止になったが、すばやい処置で蘇生した、という話。いまでは松村はなにごともなかったようにテレビに映っているわけで、それが頭にあったから、どうにも深刻に受け止めなかった。「松村ですら助かった。ましてや「あの」ゾンビと呼ばれたミサワだ」という考えがあった。いずれ笑い話になる、くらいのそんな心持ちだった。
 その楽観は「次の版」であっさり打ち崩される。


 「死亡」。「死亡」。


 社会面の版を変えている途中にその文字を見つける。もう。もう。膝から崩れ落ちる感じ。足に力が入らない。なんだそれ。なんだそれ。
 思い返してみれば、なぜ一般紙の社会面に「それ」があったのか。もう少し考えるべきだったのだが。そのときはもう、冷静になどなれるわけがなかった。


 その版の刷始時、真っ青になってる俺の顔を見て一緒に給紙(輪転機の巻取りを交換する仕事)をしている同僚に「どうした?」と聞かれ、「ミサワガシンダって・・・」と答える。口に出してみたものの現実感がない。同僚は「さっき聞いた。・・・・信じられないね。」と言い、私も「・・・信じんない・・・。信じらんない!」と答えた。悪い冗談だ。なんだよ。だれだよ、こんなジョーク考えたやつ。殴らないから出てこいよ。


 その記事は無常にもがんがん刷られていく。となりのとなりあたりで刷っているSニチでは、ついに1面の見出しになっていく。「三沢、死す」。しかし、その情報を脳が、心が、拒絶する。悪夢のような時間。悪夢を刷って、刷って、刷っている。
 刷了し、輪転機の掃除をする。インクのガラン棒やレールに「血のり」のようなインクのあとを、わけもわからない怒りとともにふき取っていく。涙は出ない。だって、死んでないから。死ぬわけないから。
 あの、あの、三沢が死ぬわけない。秋山にどんなエグい形で落とされても、小橋にリング外の花道で投げ飛ばされても立ち上がったじゃないか、あの人。俺、見たもの。何度も目の前で見たもの。それが彰俊ごときのバックドロップで死ぬわけないじゃない。ざけんなよ。


 仕事が終わって、速攻で、俺を「プロレス」に引き込んだ後輩に電話をかけた。向こうも仕事中に知ったらしい。いいニュースも、あれば悪いニュースもある。だけど、今夜は最悪すぎた。いまだに受け止めきれない。葬式にもたぶんいかない。テレビで映ったら速攻で消す。死んでない。三沢はそんなことで死ぬはずない。
 後輩もこちらの言葉に同意した。あの人がバックドロップで死ぬはずねーじゃんか、と。死んだらいけない人が、死ぬはずのない理由で死ぬ。三沢たちが築き上げてきた「夢」が、この「現実」に一瞬で崩壊していくような恐怖が、俺に現実を見させない。。これを受け止めるのには時間が要る。その日が来るまで、ご苦労様なんていわない。まだ、スリーカウントは聞こえない。