虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

2.5次元の住人

toshi202007-06-21



 「無限の住人」の21巻を買いまして。いよいよ、最終章に入るってんで、キャラクターのドラマを掘り下げにかかっていて、なかなか楽しい。ひたすら陰惨な展開が続いた不死解明編とは違い、すべてに決着がつく、という感じでいきいきとキャラが動き回っている感じがとても好ましいんですが。
 それはともかくですね。帯に「連載開始より13年」と書いてあって軽くショックを受けたりする今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。そーか。13年か。おれ18の頃から読んでるのな。うーわー。みたいな。まー13年ですよ。


 そんだけ人生生きてるといろんなことがあるもんで。「新しい話題作を取り上げた駄文レビュー」な映画感想を書き続けてはや幾年ですが。そんな俺の中で今、ちょっとした「アニメブーム」が到来です。ここ十数年を鑑みてもかなりテレビアニメ見てますね。
 ま、今年は比較的当たりを引いているというのもありますが、それにしても近年まれにみる感じ。HDDレコーダーの編集作業の早いこと早いこと(笑)。とりあえずCMカット!みたいな。DVDに焼く準備も万端ですよ!的な。去年の俺からすれば「ぶっちゃけありえない」ですよ。去年だったらテレビよりも劇場通いをすべてに優先していたはずの俺ですよ。嗜好が変わったと言われても仕方がない気がするわけですが。その理由は・・・まあ、わかってはいるんです。



 で、「無限の住人」の話に戻るんですが。
 吐というキャラがいまして。その男は前シリーズの戦いの中で片目を失うわけですな。で、彼は娘のいる家へと帰ってくるのですが、そこで薪を割ろうとする。やっぱり最初は遠近感のなさに慣れていないから斧の先が微妙にずれてしまう。かろうじて薪は切れたのだけれど、あまりに不恰好な形になる。娘の前で彼は言うわけです。


「目は大事よな」


 …そう目は大事だよ。大事なんだよな。すっげーわかる。もうこういうシーンには無条件に反応してしまう。今、俺も同じような状況なんで。左目がほぼ視力を失った状態。えーと。つまり。


 現在、隻眼の状態なんですわたくし。だから、世界がね、平面なんです。見え方が。右目だけで世界を見ているんです。



 なんでそんなことになったのかというと、2月終わりくらいから白内障に懸かりはじめたんですね。はじめはこううすぼんやりとしろく煙った感じにしか見えなかったんだけれども、それが徐々にひどく白くにごったように見えてきて。3月頭にようやく異変を感じて急いで眼科に行ったら「白内障ですねー」と軽く言われて。で、大学病院で見てもらってとりあえず様子を見よう、ということになった。


 白内障、という病気にもいくつか種類があって。老人性白内障は老化なので比較的ゆっくり水晶体が濁っていく病気なんですけど、おれのはアトピー性皮膚炎の合併症の白内障なので、若いうちに懸かる上に進行が早い。
 でまあ、4月終わりくらいまでは進行を抑える目薬のおかげでそれほど酷くはならなかったんですが、それでも、そうとうきつい。なにがきついって、昼間、外へ出歩くのがきつい。なんせ明るい場所に出ると光を無制限に引き付けるからか、左目の視界が白く焼きついたようになる。むしろ薄暗い方が目の調子がいいんです。だから、自然と宵っ張りに<それはもとから。
 サングラスをかけるのがいいんだけれども、俺、サングラスがあまりにも似合わないんで、あまり使わないようにしたりなんかして。


 で、5月頭くらいになったら左目の視力がほぼなくなってしまったんです。





 この病気は精神的につらい。と言ってもつらいのは視力なくしたあとよりもなくす前で。はっきり言って気持ちいいものではない。徐々に徐々に視界がかすんでいくのだ。これをとめることはできない。手術するしかないのだが、目の手術、というだけでももう異様に怖い。全身麻酔をかけてやるそうだが、いやでも「時計仕掛けのオレンジ」を思い出してね。もう怖い。


 大学病院の眼科は多くの患者が次々と訪れる上に、主治医を一人にしぼらなきゃいけないシステムのため、なかなか予約がとれなかったりする。6月にようやく取れて、7月に検査をして、手術は8月に決まったのだけれど、それまではこの眼の状態が続く。


 この病気のもうひとつ怖いのは、同じ症状がもしも右目にも起こったら、ということ。実はこれでかなり消耗させられた感じはある。これが徐々に視界が白くなる症状とセットになると、不安と恐怖が倍増する。実際俺の左目に起こってるわけだから、右まで潰れたら…と考えるだけで、かなり精神的な圧迫がある。


 片方の目のそのたった一部分に異常が起きただけでこの体たらくである。人間とはなんというバランスでできているものなのか、と嘆息する。そして、俺はたとえ一部分であろうとも不自由である生活を強いられている。だから、俺は今、健常者じゃねーんだなあ、という意識も強くしたりする。


 しかし不幸中の幸い、という要素もあって、実はちょっと前まで俺は同じ会社でもちょっと体育会系の職場にいたので、正直そんなところでこんな病気にかかったら、遠近感なくちゃ仕事にならない。今はデスクワーク系なので、仕事には大きな支障がないのは救いだった。


 慣れるまでにちょっと掛かったが、落ち着いて行動すれば、一般生活でもそれほど支障がなかったりするのだけれど、それでも世界の見え方が根本的に違う。視野が狭い上に立体感がない。スピードの出る乗り物には乗れないからいやでも行動が制限される。あと基本的に眼が疲れる。ゆえに体力は通常よりも消耗が激しい。
 

 そしてなによりも個体識別能力ががた落ちになる。これはショックだった。死角が多いのは仕方がないとしても、人ごみに入ると、人がどこに立っているか、という認識するスピードが人よりも遅い。言ってみりゃ逆ニュータイプですよ。たとえば普通に眼が両方見えている場合、われわれはそれぞれの個体を別々に認識している。個体をa,b,c,d,eという風に例え、それが集まって「A」という画を認識するならば、ふつうはa+b+c+d+e=A、という風にいくつもの要素が組み合わさって「A」という画ができている。


 だけど片目だとどうなるか、というといきなり「A」という画があり、それをabcdeとバラけていく必要が生じる。つまり、普通なら最初から無意識にバラけているはずの要素がバラけていないので、われわれがその要素を意識的に追認していくしかない、ということになる。そうなるとどうしても通常よりも認識が遅れるのである。abcdeという要素を普通はみんな認識しているから、人ごみでもすいすい歩けるので、隻眼のあたくしはそれらを意識的に見ながら、ひやひやしながら歩く羽目になる。
 だから夏侯惇とか柳生十兵衛や「むげにん」の万次などの隻眼の剣士とか武将、というのはすごいのだなあ、などと思ったりする。如何に、目に頼らない認識方法を獲得して、立体的な個体把握力を持つかが、生き残りの鍵なのだと思う。


 隻眼というのは立体的な認識の仕方ではなく、平面的に認識する。だから、どちらというと世界を「観る」感覚は、映画よりもアニメの画に近いのかもしれない。今、俺のリアルは、どちらかというと映画よりもアニメなのかもしれない。とこのごろ思う。
 なによりも映画館に行っても見え方がなんとなく違う。なんか後ろの席に座っても奥行きがないように見える。映画館で見ている、という感じがぜんぜんしない。だから同じ画を見ていても、なんとなく認識の仕方が違うように思う。


 だから、アニメを最近楽しくみれるのかもしれないなあ…


 とか言ってまとめようと思いましたが。どこかおかしいですね。すいません。でも、「大江戸ロケット」と「電脳コイル」、「グレンラガン」あと、アニメ版「銀魂」はそんな打算をさっぴいても面白いと思いますよ。おすすめデス<あ、「のだめ」と「デスノ」もそこそこ。


 というわけで秋口あたりまで俺は二次元に見える三次元の世界で、なんとかがんばっていきたいと思う次第です。みなさん、よろしく。