虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「7つの贈り物」

toshi202009-03-05

原題:Seven Pounds
監督:ガブリエレ・ムッチーノ
脚本:グラント・ニーポート


 えーとね。


 ボクが好きなテレビアニメに「精霊の守り人」というアニメがありまして。
 知らない人に対して説明しておくと、異邦人で用心棒の女性バルサが、ある出来事でその国の王子・チャグムを救う。それが縁で、その国の王女から王子を暗殺の魔の手から逃れるために、連れて逃げてくれ、と頼まれる、というのが物語の発端で。彼女は、自らに課したある誓いからそれを引き受けるわけ。
 バルサは、自らのために死んだ8人の命へのつぐないのために、8人の命を救う、という誓いを立てている。彼女にとってそのチャグムこそが、8人目の「救う命」となる。
 このアニメは大変傑作なんで、未見の方は是非見て欲しいんですけど、それについては今は置いといて。


 でね。この映画の、ウィル・スミス演じる主人公「ベン・トーマス」なる人物の、この映画で起こすアクションの「動機」は、バルサに非常に近いわけです。
 彼はある事故をきっかけに、7人の人間に対して、「ある計画」を実行に移そうとするんですけれどもね。その先を語ろうとすると、ネタバレに抵触してしまう、という映画で。


 ただ、思うわけです。
 罪、というものが私たちにあるとして。それをどのように償うか、によって、人間性が測られるような気がするわけです。


(以下 ネタバレ御免でいきます)



 ボクはね、この「ベン・トーマス」を名乗る人間、あまり好きではないです。・・・えー、はっきりいうと、嫌いです。
 まずね、俺からすると、自らの命を投げ出して、他人を救う、という意味ではバルサに近いかもしれないけれど、生きて救うことと、死んで救うことは、似ているようでまるで違うと思う。死ぬ、ということは、罪そのものから魂を「切り離して」しまうことになるのだと思う。その時点で彼は罪を認識する状態から逃れるわけだからね。彼の行為は、完全な罪からの「逃げ」ですよ。
 そしてね、もうひとつ「いけすかねえ」と思ったのはですよ、彼が救う命の「7人」を自らセレクションして、彼が「善人」認定した人間だけを救おうとしていることですよ。


 そりゃ善人であることが報われることはいいことなんじゃね?、とは思うけれど、善人、というのをどこで規定するのだ? いいことばっかりしている人間だけが善人か? どこまでいけば、「人」をはかれる?
 それは浅はかな人間観が生み出した傲慢だと思う。僕が「性善説」というものをまったく信用していないせいもあるんだけど、人は多かれ少なかれ、罪を背負っているものだ。善をなそうとする人がいるならば、彼らがなぜ「善」をなそうとしているのか、そのきっかけこそ重要だと思うけれど、その動機が「罪科(つみとが)」に値しないものだと何故言える? そして罪科だったとしたなら、むしろ彼らの生き方の方が、ベン・トーマスよりも何倍もいいものであると言えるじゃないか。だって彼らは罪を真っ正面から背負って生き続けているんだぜ?


 一概には言えないけれど、まっさらに善人よりも、罪科を通じて善人となった者の方がより「善」を強固に行えるはずじゃないか。・・・ということはですよ。いま悪人だとして、彼らが善人に変わる可能性だってある。悪を為していても、それ以上の人を影で救っている男だっているかもしれない。
 それに、今善人でも、これから罪を犯す可能性だっていくらでもあるだろうよ。
 かように、人の「いい/悪い」なんざ所詮人間の価値をはかるには軽すぎるんだよ。てめえのフィルターにかけてまっさらな善人を「認定」して救って、てめえは死んで罪から逃げる? 何様だお前。「甘える」のも大概にしろってんだ。
 罪を感じている自分を殺してどうすんだ。罪を抱えたまま、生きて、生きて、生きて。それから死ねよ。自ら、この先、7人以上救えるかもしれない未来をわざわざ閉ざした「ベン・トーマス」を、おれは心から軽蔑する。(★★)