虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「パッチギ!/LOVE&PEACE」

toshi202007-05-19

監督:井筒和幸
脚本:羽原大介井筒和幸


 自腹で見てきました。
 当たり前ですけどね。一応ね。俺3作連続で公開初日に見てるな、井筒作品。


 物語は1974年に生きるアンソンとキョンジャの兄妹が、難病を患ったアンソンの息子のために七転八倒する物語に、1944年の彼らのアポジ(父親)の物語が挟まれ、三世代に連なる物語・・・にしようという意図がかいま見える構成になっている、。
 で、ですね。公開前に聞こえてきた評判がみんな奥歯にものがはさまったような映画評ばっかりだったわけですけど、見て納得しましたよ。これ、完全な・・・・じゃないですか<はさまってる。


 えと、もう一度言いますね。



 「日本人罵倒映画」じゃないですか。



 ・・・いや、こんなアホな解釈、したくないんですよ。俺だって別に「愛国心」なんて言葉には反発を感じる人間だけどさ、そんな俺が「いくらなんでもあんまりじゃないか」と思うほど、あまりに一方的に出てくる日本人がステレオタイプに差別主義者みたいな描かれ方をされているんですよ。そこまで一方的に悪し様に描く必要がどこにあんだよ。
 朝鮮人は差別されたりしながら生きてきたんよ、という話ならこちらもだまって聞いていられるんですけど、「日本人は差別主義のアホばっかりじゃ、カス、ボケ、お前ら全員死ね」みたいに言われたら、さすがにこっちだって「ムカッ」ときますわね。前作は青春映画でありながら、相互理解と人種の壁を乗り越えようとする青春物語の傑作だったけど、今回のアンソン兄妹の前に立ちはだかるのは、芸能界も含めた、わかりやすいほど差別的な「日本的世間」ってやつなんですよね。でも、朝鮮人との架け橋になるべき藤井隆演じる田中は自分の母親のことで手一杯になり、彼らの物語の脇で右往左往に終始することになる。


 そりゃあ在日朝鮮人の方々には、俺らには想像もできないような現実や屈辱があるであろうことはわかる。だけど彼らの生き様を浮かび上がらせたいがために、日本人にひたすら石を投げたって仕方ないだろう。
 こういう物語になってしまった原因はどう考えても、某都知事が製作総指揮したあの映画が念頭にあるのは想像に難くない。キョンジャが芸能界でのし上がっていく中での「あがり」がある戦争アクション映画なんだけれども、それが特攻隊員たちの英霊に報いるみたいな映画で、それを製作過程も含めてあまりにも安っぽく描いてみせるわけなんだけど。
 井筒監督に言いたいのは、どんな映画であろうとも、成立する過程で情熱が無ければ成立しえないことを知っているはずなのに、このような話を作ってしまうのは、結果として映画そのものを冒涜してしまっていることになりはしないか?ということだ。


 この映画は力作だとは思う。井坂俊哉だって、中村ゆりだって、情熱を持って取り組んで、見事に熱演を見せている。それを引き出したのは井筒監督の力量だと思うけれど、この映画で描かれている製作現場は、あまりにも情熱が足りない。
 でも、どんな映画だって情熱なしでは生まれないはずだ、と俺は信じている。相手の情熱の否定は、そして対象への過度の罵倒は、最後には自らに返ってくる。そのことに気づいて欲しかった(★★)