虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「蟲師」

toshi202007-04-01

監督・脚本:大友克洋
脚本:村井さだゆき


 最初に闇ありき。この映画はそこから始まっている。


 なんのことやら、と問われると、「まあ、見てくれ」としか言えないけれども、この映画の根源は「くらあい闇」である。見えぬものが見える少年が、一人の女性と出会う。彼女は女性の蟲師である。


 それと同時にギンコという青年が登場する。彼もまた「蟲師」である。人には見えぬながらに人に、世界に関わりをもつ「蟲」という存在を知覚し、対処するものたちのことである。この「蟲」が悪さをすることがあり、そうすると彼らは請われてやってくる。ギンコ青年もその一人である。
 ギンコが一人の娘を治癒して、蟲師たちの溜まり場のお堂に戻ると文が届いている。それは淡幽という蟲関連の書を執筆・管理する女性からのものであった。途中、虹郎という虹を捕まえようとする男との出会いもありつつ、彼女の元へ向かうが、彼女は蟲に体を侵されていた。お付の女性が言うには、その発端はひとりの老婆の蟲師との邂逅にあるという。


 さて。
 この映画、娯楽映画としてはいささかカタルシスが足りない。さりとてそれほど高尚なものとも思われない。ストーリーもいささか芯がない感じであやふやのようにも見える。第一説明不足なので、設定がわかりにくい。演出もゆったりとしていて、日本国内とは思えぬほど美麗な風景と相まって眠気を誘いそうである。
 そんな映画をなぜ大友克洋は撮ろうと思ったか。


 ひとつには単純に原作が好きなのだろうな、ということ。比較的登場人物の容姿や物語に組み込まれたサブエピソード自体は比較的原作に準拠している。
 で、もうひとつ、思うのは、この原作の題材が「再生」と分かちがたく結びついているからではないか。


 彼は「カタストロフ」の作家だ。彼は常に大破壊を望んできた。彼の出世作「AKIRA」にしても、漫画家としての最高傑作「童夢」にしても、ラストは常に大崩壊が待っていた。「スチームボーイ」は製作期間10年に及んだ大作となってしまったが、これもまた「世界を緻密に作って一気に破壊する」物語であった。


 彼はメインストーリーとして「ギンコ自身の過去の物語」とし、破壊の後の闇を「ギンコの過去」に据える。破壊された彼の過去の記憶を、大友克洋は江角マキ子演じる女蟲師として体現させる。蟲も病も、常にただそこにあり、彼らを殺すのではなく、共存するための手助けをするが蟲師の業だ。
 破壊の後に訪れた闇が光を取り戻すのは容易ではない。見えぬものに囚われたものがゆっくりと再生するのはかなりの時間を要するだろう。この映画が生み出す、癒しと再生は非常にゆるやかなそれだ。


 破壊に疲れた破壊神が、望んだのは、破壊からの緩やかな再生へと続く物語であった、というのは面白いと思う。大友克洋はいったいどこへ向かうのか。次の大破壊の前のひと時のやすらぎの時間か、癒しの神へと姿を変えるのか。それは彼の中の「蟲」のみぞ知る。というところであろうか。(★★★)