「ブラック・ダリア」
原題:The Black Dahlia
監督:ブライアン・デ・パルマ 原作:ジェームズ・エルロイ 脚色:ジョシュ・フリードマン
それは光の明滅に似ていた。
「生者と死体」「正常と異常」「正気と妄執」「0と1」
などと書き出してみる。しかしまあ、すごいな。ここまでキャラ描写が平板な映画とは思っていなくて、見ていて逆に感心しはじめてしまった。例えるなら、手旗信号。赤上げて、白上げないで、赤下げる、みたいな。感じ。
なんというのかな。狂気の色が赤だとするなら、普通は徐々に段階的に色を変えていくことで「染まっていく」感じを出しそうなものなのに、この映画ってばいきなり狂気の赤をばんと出して、「ハイ、狂気ですよ」と表現するのだ。アーロン・エッカート演じる主人公の相棒・ミスター・ファイアなんか、過程もなにもなくいきなりキャラが変わるので、一瞬戸惑う。
つまるところ、彼らがどう狂気へ走っていくのか、という過程に、デ・パルマは一切の興味がない。んじゃないかな。その結果自体は面白いから、実に楽しそうに描くんだけれども、そうなっていく「段階」を描こうとはしない。全編通して。むしろ、過程となる部分は極力排除しているようにすら見える。
ていうか明らかに演出の不備にも見えるこの「欠落」をここまで徹底されていると、逆に清々しくって、面白く思えてきてしまう。むしろ、それ自体がこの映画を支えているようにも感じられるから不思議だ。
その面白さが、狂気と正気の狭間を描くミステリーとしての物語に、まったく寄与してないんだけれども、その星の瞬きにも似たキャラクターの明滅を見ているだけで、不思議と退屈はしなかったのだった。(★★★)