虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「映画ドラえもん のび太の恐竜2006」

toshi202006-03-06

監督:渡辺歩


 新生キャスト初めての劇場版にして2年越しの新作、そして記念すべき劇場版第1作のリメイクである。


 驚いたのは、舞台を現代においたことである。
 いや、よくよく考えれば、それは当然のことと言える。時代は常に変化している。懐かしんでもいられない。数十年の歴史を刻んだキャストを脇役にいたるまで全とっかえし、世界観・道具のデザイン・スタッフ含めて若返りと世代交代をはかったアニメ制作陣にとって、その変化の集大成であり、あらたな始まりが本作であろう。


 で、出来映えであるが、悪くない。驚いたのが世界観のリアルさ。ドラえもんたちの住む町、というと基本的に平坦というイメージがある。だが、映画版では坂道があったりと立体感にあふれていて、アパートや駐車場をのび太ドラえもんショートカットしたりするし、背景もかなり描き込まれている。のび太の部屋も原作のシンプルさとは違い、物がごった返しているのだ。キャラの演技も自由度が高まっており、かなり演出でキャラ演技を改変している。
 さらに、違うのがレイアウトの自由度。ドラえもん白亜紀の世界をタケコプターで移動するカットの高低差を意識した飛行シーンのレイアウトとか、いままでのドラえもんじゃありえなかった。カメラもかなり自由に動かしているし、迫力あるカットも思いのままだ。ふえええ・・・・こんな藤子アニメ見たことねえええ・・・とか思いながら、その違和感を楽しんだ。
 だが、それが必ずしも物語を動かす力として有効に機能しない。


 結論から言えば、「演出過多」。もともと、「のび太の恐竜」という原作(漫画版)自体がシンプルに完成された作品で、余計なことしなくても素直につくれば面白いように描かれているのだ。それを渡辺監督流にアレンジしてみせているのだが、はっきり言えば「余計なこと」にしかなっていない。
 演出は渡辺流にしながら、物語自体は大筋で原作に準拠してしまってるのも、結果的にはちぐはぐさを感じさせる原因になってはいまいか。多くの要素を一新しながら、物語的には大筋で踏み込んでいない。作り手が与えられた「自由度」を使ってはいるが、使いこなせていない。場面場面では「おおっ」という驚く見せ場はあるのだ。しかし、それが「物語」として綺麗につながらない。渡辺歩の物語になっていないから、ぶつ切れのように「見えてしまう」のだ。
 ここまで世界観を変化させたのなら、話自体も変えて構わなかったと俺は思う。


 ・・・とここまで否定的なことを描いてきたが、希望もある。新生・映画ドラえもんは、ついに、真の意味で藤子・F・不二雄の手からドラえもんを引きはがした、ということである。ドラえもんは、ついに「監督」たちのものになったのだ。何をしても、どのように描いてもいい。本作は作り手たちが手に入れた「自由」の先鞭をであり、宣言であり、今後の指針であろう。
 本当の意味での「映画」ドラえもんはここから始まる。そして、真の正念場は第2作目に何をつくるか、だと思う。期待して次作を待ちたい。(★★★)