虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ルイスと未来泥棒」

toshi202007-12-22

原題:Meet the Robinsons
監督:スティーブン・J・アンダーソン
原作:ウィリアム・ジョイス





 発明好きの主人公・ルイスは、赤子の頃に母親に孤児院に預けられ、養子の貰い手を待つ身。面談を繰り返してはいるが、彼の変わったキャラクターは里親たちに受け入れられず、落ち込む日々だ。彼は自分を捨てた母親の記憶を蘇らせるために、脳から自分が見たい記憶を映し出す「メモリー・スキャナ」を発明し、科学展で発表しようとする。そこに見知らぬ少年がやってきて、ルイスに警告する。「山高帽の男に気をつけろ」と。
 ルイスはその謎の「山高帽の男」の策略により、発表に失敗。結果的に「メモリー・スキャナ」を奪われてしまう。落ち込むルイスにさっきの見知らぬ少年が接触してくる。少年は「ウィルバー」と名乗り、自分は未来からやってきた、という。いぶかるルイスに「未来人である」ことを証明するために、ウィルバーはタイムマシンで、彼を未来世界へと連れて行く。ルイスがそこで出会ったものとは。




 3D版で鑑賞。したんだけど、もともとセルアニメの延長線上を意識して作られた作品だけに、3Dだからどうこう、ということはなかったりする。ちょっと残念。


 さて。


 この作品は、すでに多くの人が指摘してるように、非常に藤子F的なSF(すこしふしぎ)系のタイムパラドックス話なのだけれど。まあ、正直かなりディテールの甘い世界観ではあるのだけれど、元が絵本なので、そこらへんは目をつぶるとして。
 そういうおおざっぱな世界観にもかかわらず、本作の難しさは、ルイスというキャラクターにある気がする。


 ルイスという少年は、「本当の家族」「愛される喜び」を心から欲し、そのありかを探してる。そして、非常に心温まる結末が用意されている。これは、原作者・ウィリアム・ジョイス氏が、養子に出された経験が色濃く反映された物語なのだけれど、それゆえにこの物語は子供向けにしては、やや間口が狭い。
 この映画がどこか複雑に感じるのは、最後の最後、ルイスがある決断を迫られる場面。


 自分の母親に会うか会わないか。本当の家族はどこにいるのか。ルイスが見つけ出した答えは、大人の観客にとってみれば「なるほど!」と思うものなのだが、さて、子供にとってどこまで腑に落ちるものであったろう。未来にこそ愛すべき家族がいる、とわかってもなお、血のつながりのある親をあきらめきれるものなのかしらん。それに、孤児であるルイスにとっては最良の選択かもしれないけれど、見ている子供たちにとっては、実の親を「あきらめる」というのは、やや共感しにくい選択ではないかしらん?・・・考えすぎか?


 それと。未来がわかっていながら、そこに向かってルイスは人生を歩むことになるんだけど、正直なところ、記憶は消した方がいいんじゃねーの?という気もする。「未来はルイスの手の中」にある。だが、結局未来の自分が歩んだレールを歩んでいくことが「未来」ならば、それはつまらんものじゃないのか?という気もする。
 ロビンソン一家以外の未来。実の親と暮らす未来だってあっていいじゃないか。それもまた未来ではないのか。そのくらいの「ゆらぎ」を提示してもいいのではないか、とも思うのである。(★★★)