虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ミッドナイト・イン・パリ」

原題:Midnight in Paris
監督・脚本:ウディ・アレン



 「宇宙兄弟」を見る前に鑑賞しました。


 憧れのパリに婚約者とともにやってきた、作家志望の脚本家が、真夜中のパリで、ふいに過去のパリへと迷い込む。ウディ・アレン流「すこしふしぎタイムトリップ妄想観光」。
 青年は現代における現実にうんざりしていて、婚約者やその家族との関係や、作家としての転身に不安を抱えてもいる。そして、鼻持ちならない、ツウ気取りの俗物どもの存在にも我慢がならない。文化度の高い「本物」がいる時代の「パリ」こそが、「俺の考える理想のパリ」。ソレが突然、真夜中のパリにいた青年の前に、現出する。
 彼の目の前には、ヘミングウェイフィッツジェラルドコール・ポーターなどの作家や作曲家たちが暮らし、またピカソやダリ、マティスといった若手時代の彼らが、青春を生きている。そんな時代に毎夜迷い込む。


 言ってみれば、幕末好きの青年が、桂浜に旅行に行って毎夜坂本龍馬に会ったり、萩市に旅行に行って毎夜「松下村塾」で吉田松陰先生と論を交わしたりする、みたいなもんで、ウディ・アレンが妄想する「20年代のパリ」という名の「妄想イメージ」の具現化である。
 そういう意味では非常に後ろ向きな「タイムトリップ」であり、アレン監督もそのことを承知でありながらも、「ファンタジー」として「俗物どものいないパリ」という理想郷を妄想して、スクリーンの上にいそいそ現出してみせ、主人公は毎夜そこに迷い込み、歴史的人物たちと会話を交わし、あまつさえ一人の女性と青年をロマンスに落ちてみせたりする。


 後ろ向きな妄想を現出させながらも、そこで青年は「現実」と少しだけ前向きに折り合うヒントをもらいながら、そんな妄想な日々と別れを告げ、現代に帰還する。後ろ向きな「老人」の妄想を織り交ぜながらも、決してそこには逃げ込まないオトナの余裕を垣間見せる、ウディ・アレン流のすこしふしぎファンタジー映画として、ゆるーく楽しく見られる映画でした。(★★★)