虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「バブルへGO!! /タイムマシンはドラム式」

決して真似しないでください。

原作: ホイチョイ・プロダクションズ
監督:馬場康夫 脚本: 君塚良一



 葬式が行われている。喪主は若い女性である。彼女の母親は我が日本が誇るとある企業の研究員だったが、海に飛び込み自殺。カレシに借金抱えて水商売をも厭わないフシダラな女に育った主人公の前に、老けメイクした疲れた阿部寛みたいな男が現れる。彼は財務省の役人であった。彼は日本の経済は大変な危機にあるので、バブルをはじけさせないで欲しいという。ある法案を廃案にすれば日本経済は救われる。そのためには1990年に行かなければならない。
 そのためにはタイムマシンがなくてはならない。タイムマシンはどこに。それはね。母親の勤めていた企業の研究室にあるのだよ。なぜならね。母親は実は生きていて、洗濯機を作るつもりがうっかりタイムマシンを発明して過去に飛んだのだからね!



 というわけで、もう、某企業とのタイアップ感バリバリの副題*1でおなじみ、ホイチョイ・プロダクション最新作は、タイトルでも分かる通り、バブル時代へのタイムトラベルものである。タイアップだけじゃなくて、物語でも日立は重要な役割を与えられており、ここまで日立を持ち上げる意図はなんだ?と勘ぐっちゃいそう。なんせうっかりタイムマシンを作っちゃうんですから!




「日立の技術は世界一ィィィイイイイイ!!!」



 てなもんですよ、ええ。



 さて。
 映画はというと、「バック・トゥ・ザ・フューチャー(以下「BTTF」)」を現代日本を舞台にしてキレーになぞりつつ、バブルがはじける寸前当時の風俗と現在の風俗を対比する面白さを狙ってみせる、というものなんだけれども。
 この映画の面白いところは、作り手はバブルの恩恵に預かっていた、そのど真ん中にいた人たちが作っているということで。そのディテール部分は、ものすげえこだわって作られている。てっきり投げやりなものかと思いきや、小道具大道具含めて、かなり上手く使いこなして、ベタベタながらもきっちりカルチャーギャップコメディをこなしていて飽きさせない。意外といっちゃなんだが、きっちり作り込まれている。
 あの時代から17年。彼らにとってこの月日は華やかなりし時代の黄昏でしかない、という鬱憤がこの映画への捻れた情熱となっている。



もうね、いやんなっちゃうくらい捻れてるけど。
 

 現代における彼らは阿部寛劇団ひとり森口博子吹石一恵などの比較的若い役者が老けメイクで疲れた感じを出しながら登場する。しかし、現代の「疲れ切った」俺たち、いやさ彼らは仮の姿でしかないのだよふっふっふ。舞台がバブル時代になった途端、見よ!この若さ溢れる俺たちを!いや彼らを!
 俺たちは、日本は、こんなにイキイキしていたんだぜ、お前らもこんな時代がいいだろ?うらやましいだろ?そうさ、あの時代はサイコーなんだ。


バブルサイコー!あの時代をもう一度・・・・・!!



 という叫びが聞こえるようですらある。その叫びが炸裂するのは、最後の最後のオチ。


 以前、町山智浩氏が映画秘宝の「イエスタデイ・ワンスモア」で「BTTF」は国威発揚の映画である、と書いていたと思ったが、その意味で言えば、この映画は、「BTTF」の精神を忠実に受け継いだ映画なのかも知れない。最後の最後、作り手にとってのユートピアな現代が映し出される。



 あっはっはっは。しねばいいのに



 台無し。すべてが台無しである。選択可能な結末の中で一番最悪なの選びやがった。これがお前らの考えるウツクシイ現代か!ギャグだよん、で誤魔化したつもりだろうが、この流れで笑えるかっつの。誤魔化しきれてなくてかえって生々しい。あまりの醜悪さに吐き気がする。
 よくも恥ずかしげもなく、こんなオチにできたもんだな、と、久々に作り手が目の前に居たら、しこたま殴り倒したい衝動に駆られた。自分たちの栄耀栄華を肯定するために、ここ17年の日本をまるごと否定しやがった。このボケなす!それで何が変わるよ!ほんっっっっっっっとにくだらねえ。死ね。死んでしまえ。


 ・・・と、作り手の浅ましい心性がいやんなるほど透けて見えて、まことに呆れ返った次第であるが、洗濯機に入る前の広末の水着が思いの外眼福だったので、★ひとつおまけ<お前も大概浅ましい。(★★)

*1:「タイムマシンは洗濯機」じゃなくて「ドラム式」がミソね。