虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「宮崎駿二世」などいない。「宮崎吾朗」がいるだけだ。

toshi202006-07-31




 「ゲド戦記」が不評らしい。という話が出たのはいつごろだったか。「時をかける少女」の公開後だったような気がする。初号試写が7月のはじめ。てことは、まあ、それ以降ということになるか。その辺の推移にはあまり興味がないので詳しくは触れない。


 ただ、「ゲド戦記」を見てひとつ確信したことがある。これは断じて「宮崎吾朗」以外には作れない映画である、ということだ。そもそも御大監督の息子の監督作品で主人公が「親殺し」する作品なんである。鈴木敏夫が示唆した、というのは、駿との関係がこじれるだけだからまずない。優秀なスタッフが「息子の名」を借りて書いた、という可能性もあるにはあるが、社員が会社の重役を殺す話書いて通るか、と言えば通らない。粛清されちまわあなw。
 つまり、こんなこと書いて許されるのは「監督:宮崎吾朗」以外にはない、ということである。主犯:宮崎吾朗、共犯:スタジオジブリと言ったところか。


 ま、それをふまえて書くんだが。


 そもそも今度の「ゲド戦記」が宮崎吾朗が「スタジオジブリ」の二代目になるための布石、という話はどこから来たのだろうか。それはもちろん、宮崎吾朗が「バヤオの息子」という事実と、そこからくる当然の憶測である。スタジオジブリは公式には認めない。だが、バレバレじゃん、既成事実つくっちまおうってハラだろハッハッハ、とまあ、こういう流れで、この「宮崎二代目、ジブリ継承」という「物語」がジブリの預かり知らぬところで「既成事実」になってしまったことは、想像に難くない。


 しかし、である。


おれはあえて問う。そんなもの、ほんとにあったのか?



 前から思ってたんだが、それをジブリがすることで誰が得をするのだろう。そういう憶測を誰よりも恐れてたのはジブリ自身ではないのか。だって、そんなことしてもジブリの看板が汚れるだけだろうことを、わからない鈴木敏夫ではないはずだからである。
 


 そもそも、スタジオジブリ高畑勲宮崎駿という、アニメ界屈指の二つの巨大な才能のために作られたスタジオである。「天空の城ラピュタ*1以降、高畑勲が「ホーホケキョとなりの山田くん」の興行的失敗で第一線からフェードアウトするまでの間、宮崎+高畑の両輪によってジブリはヒットメーカーとしての信頼を得ていく。その。ジブリはその間も彼らに次ぐ才能を育てようとしてきた。だが、巨大すぎる才能への依存から、なかなかジブリ生え抜きの演出家が育たない。そもそも「魔女の宅急便」は若手にまかせるはずの企画であったが頓挫し、宮崎監督がその後を引き継いで生まれた、という経緯がある。
 「耳をすませば」でデビューした宮崎駿の懐刀ともいうべき才能、近藤喜文監督は若くして急逝し、なんとか「猫の恩返し」「ギブリーズ」を作ってはみてもそれは、宮崎駿とは比べ物にならない、凡庸な作品でしかなかった。生え抜きでなくてもいいと、「千と千尋」の次回作「ハウルの動く城」の監督に細田守を招聘したはいいが、これまた頓挫し、結局宮崎駿があとを引き受けて公開。彼は去年公開の「ワンピース」を経て、「時をかける少女」を監督したのは周知のとおり。近藤勝也監督の新作もアナウンスされてはいたが、その後日の目を見ていない。


 ここまで演出家が育たない原因のひとつは宮崎駿への遠慮にあると思う。遠慮というよりも、実際に手も口も出してくる。宮崎駿という人は「「もののけ姫」はこうして生まれた。」を見ればわかるが、なんでもやる。そしてなんでもできる。しかも人よりもうまくできてしまう。「絵コンテ」を書きながら、作画チェックから動画チェック、さらには手が足りなかったら自分で作画、動画をこなしはじめる。それも担当スタッフよりも早く、上手い。その合間に、当時進んでいた「ジブリ美術館」の仕事にまで口を出し手を出し、イメージまで書き上げる。そういう人である。
 細田守が逃げ出した背景も、おそらく宮崎チェックの激しさがその一端にあるの。プロデューサーは「ゲド戦記」のインタビューでこうもらしている。


http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_interview_20051226.htm

――そもそもなぜ、吾朗さんを監督に抜擢したのですか。

鈴木 前提として、ジブリの今後という問題があります。高畑勲は70歳。宮崎駿もまもなく65歳。2人合わせて135歳。これに僕の歳を足せば200歳に近づいている(笑)。このままいけばジブリは終わりますよ。でも、もともと2人の映画が作りたくて始めた会社ですし、僕もある満足感は得ている。心のどこかで「もういいかな」と思っているところもありますが、やっぱりスタジオに所属する若い人への責任もある。だけど、宮さんは作る方は天才でも、教えるのは決してうまくない。彼を助手席に乗せて運転すればすぐに分かります。横からいちいち口を出すから、大抵の人はノイローゼになってしまう。魔女の宅急便」(89年)も「ハウル」も、最初は別の人が監督をやる予定だったのが、結局宮さんになってしまったように、映画作りでもそういう光景を何度か見てきた。もちろん宮さんに悪気はないんですよ。でも、実際に十二指腸潰瘍になって来なくなってしまう人もいる(笑)。そこで思いついたのが、吾朗君の存在。彼を間に挟めばうまくいくんじゃないかと。

(太字、引用者)


 つまり、この宮崎御大の「天才」ゆえの「悪癖」が若い才能を押しつぶしてきた。



 さて。ここまで書いてきて話を変える。



 経緯は事情はどうあれ、宮崎吾朗は「宮崎チェック」を免れながら、監督という重責を務め、スタッフの信頼も勝ち得ながら、この「非宮崎駿作品」である、宮崎吾朗第一回監督作品を完成させる。
 当然新人監督であるから、ストーリーテリングは宮崎監督に及ぶべくもなく、原作を破壊し「父殺しの青年の運命と死の受容」というテーマで話を作り替えたがゆえに、原作ファンから怒りを買う。まあ、これについてはしゃあない、と思う。つーか、当然の帰結だ。「宮崎吾朗」は「宮崎吾朗」なのだ。才能は未だ未知数であり、作家としてのカオスという、可能性を垣間見せたのみだ。「宮崎駿の息子」ではあっても「宮崎駿」当人にはなりえない。
 
 


 しかしそうなるとひとつ、はっきりしたことがある


 つまり、「宮崎駿」の才能に「替え」が利かないということである。だが、そんなことがわからない鈴木敏夫であろうか?つーか、「継承」云々などという物語を演出する必要がそもそもあったのか?つーか、「宮崎二代目、継承」などという物語は存在したのか?


 答えは「存在すらしてない」だ。


 だって、演出家の「天才」がなければ「ジブリ」はただの「アニメスタジオ」でしかないのである。
 宮崎継承物語なんて、宮崎駿も、鈴木敏夫も望んでいない。でなきゃ「細田守」を呼んだりするか?そこまでするのは、スタジオジブリの「危機意識」の現れであろうが。「監督・宮崎吾朗」はジブリの慢性的な「演出家不足」を一時的に解消する苦肉の策以外何物でもないし、ましてや「二代目継承」なんて考える余裕が、あるはずがない。まずは「宮崎駿」が完全にノータッチで大作が作れる体制の確立が急務であった*2


 そもそも天才に「代替わり」などない。つまり、宮崎駿作品は宮崎駿にしか作りえない、ということであるよ。そして「代替わり」があるとするなら、新たなる「才能」が新たなる「ジブリブランド」を作っていくしかない。それが宮崎吾朗か、もっと別の誰かか、それとも才能自体がないのか・・・は神のみぞ知るところであろうが。


 そしてここではっきりしたことを改めていうと、それは、宮崎駿という天才が如何に「替えの利かない」貴重な存在であるかということだ。



http://movie.maeda-y.com/movie/00768.htm

。長年のファンにとっては、今のジブリは『天空の城ラピュタ』あたりまでの(宮崎駿作品の好評による)貯金を食いつぶしているようなもので、最初からあまり期待はしていないのだ。


 などという言い草が如何に寝言であるか。
 貯金を食いつぶすってのはなあ、「ラピュタ2」「ナウシカ」三部作、などという安易な続編を作ることを言うのだ。毎回オリジナル勝負することがいかに冒険かを知らない愚か者の言い草だ。ましてや、作る作品のそのほとんどが、完全新作なんて無謀なのだ。それをやり続けることが、まさに「天才の証明」であろうよ。
 「宮崎駿」は代替不可能であることは、はからずも「ゲド戦記」で証明された。


 才能に「宮崎駿二世」などない。「宮崎吾朗」は「宮崎吾朗」作品しか作らない。宮崎駿」は継承されないのである。


 あなた方が望む「宮崎アニメ」はこれからますます貴重になる。瞬きは許されない。「千と千尋」がわけわからない?「ハウル」が意味不明?「コナン」はよかった?「ラピュタ」は良かった?あなた方の遠き日の思い出など知ったことではない。過去を引きずって今の宮崎駿を軽んずるな。宮崎駿という天才と時代をともに出来た幸運を、未来でかみ締めたって遅いのだ。克目しろ!目を凝らせ!寝言は墓場で言え!




 宮崎駿の生き様を感じられるのは今しかないのだ。



 そして、新たなるジブリの胎動を待つしかない。「ゲド戦記」がその新たなる一歩になることを。「継承」ではなく、「破壊」のあとの「再生」が、スタジオジブリに待つことを祈るしかない。


 その子にいい風が吹きますように。

*1:風の谷のナウシカ」はトップクラフト製作。確認。

*2:猫の恩返し」はプロデュース担当。