虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ジャーヘッド」

toshi202006-02-13

原題:Jarhead
監督:サム・メンデス
公式サイト:http://www.jarhead.jp/


「今、我々が築きつつあるこの世界に時計もカレンダーも無用だ。我々は衣食住を保証されたサバイバルを生き抜き、かつていかなる先達たちも実現しえなかった地上の楽園を、あの永遠のシャングリラを実現するだろう。ああ、選ばれし者の恍惚と不安共に我にあり、人類の未来がひとえに我々の双肩にかかってあることを認識するとき、めまいにも似た感動を禁じ得ない」(メガネ「うる星やつら2/ビューティブルドリーマー」より)


 しかし、彼らはやがて、それが幻影だったと知る。




 「ロード・トゥ・パーディション」以来のサム・メンデス監督第3作。「アメリカン・ビューティー」でロリータ&オナニー&ホモの合わせ技でオスカーをかっさらうという衝撃の監督デビューをなしとげ、そのすぐ後に、メリケン子連れ狼という王道映画も出来ることを示した彼が、満を持して題材に選んだのが「湾岸戦争」だ。


 しかも主人公は海兵隊の地上歩兵で、彼の目線で湾岸戦争を見つめていくのだが・・・これが、いかに難物であるか。なんせ、湾岸戦争の地上戦はわずか4日で終わったんだから、戦闘らしい戦闘などないのである。ではサム・メンデスは、この難物にどう挑んだのか。


 イラククウェートに侵攻し、海兵隊の中東派遣が決定。湾岸戦争が始まるまでの170日以上を主人公たちは、サウジアラビアの砂漠に縛り付けられて過ごした。彼らは自分たちも、映画で見るような「ベトナム」のような地獄へと向かうことを多分に意識する。彼らが戦地に入る前に「地獄の黙示録」を見る。彼らは「ワルキューレの騎行」が鳴り出すと大合唱となり、やたらと興奮し、「やっちまえ!」「撃ち殺せ!」という歓声が場内を満たす。スクリーンに映る戦争は、彼らが未来において体験するはずのものであり、スクリーンの兵士はすなわち未来の自分だった。


 虚構の向こうに彼らの未来が映っていた。上官も「フルメタルジャケット」よろしく部下を叱責し、この映画も「プラトーン」のように一兵士の目線で戦争を映す。虚構のような現実が待つことに、期待と不安が交錯する。

 彼らは「戦争」という本番に向けて、テクニックを磨き、気持ちを高ぶらせ、体を鍛え、故国の妻や恋人の浮気を心配しつつ、退屈に飽いたボンクラな同僚兵士たちと折り合いつけながら、ひたすら正義の「戦争」を待ち望む。だが、戦争は一向に始まらない。長きに渡る待機は、恍惚と不安を、いつ終わるとも知れない訓練の「抑圧」と膨大な「退屈」に変えていく。貯まる一方のフラストレーションやストレスを発散しようと、しても、あるのは訓練とオナニーだけ。
 彼らはやがて脇道に逸れ出す。「ディアハンター」に重ね撮りされた妻の浮気現場のビデオを見て嘆く男を後目に、「もっかい見ようぜー」と盛り上がり、禁制の酒を持ってきてバカ騒ぎ、それがバレて便所の汲み取りなんぞをやらされ、バレる原因となった奴に銃を突きつける。まるで修学旅行の中学生のような有様。

 やがて、湾岸戦争開戦の知らせが届き、彼らは勇んで出撃する。だが、待っていたのは「敵のいない戦場」「殺してない死体が転がる砂漠」。そして「油がしみこんだ雨」だった・・・・・。



 この映画を支配するのは、圧倒的な無為な時間とそれに翻弄される兵士たちの姿だ。そして、そこを抜け出した彼らを待つのは、なんとも寸止めな結末。ようやく、俺たちの本番が始まるはずだったのに。その安易なカタルシスを許さない現実、そして、彼らはそのやり場のない「やる気」を誰もいない空に向けて撃ち続ける。


 だが、手応えはない。まるで自慰の後のように。


 そう、この映画は、オナニーでオスカーゲットしたサム・メンデスが原点回帰した、まるでカタルシスのない、オナニストならではの映画である。さんざん欲情させられたあげく、本番にイかせてもらえない。そういう哀しみが湾岸戦争にはあったのだ。


 主人公は映画の最後にこう言う。「戦場を離れても、僕らはいまだ砂漠にいる。」


 バレンタインデーにチョコをもらえない、乾いている非モテ*1は見るべし!という、戦わせてもらえない喪男たちの戦争についてのドラマなのである。(★★★★)

*1:ちなみに俺はこの映画をバレンタインデーに見ましたYO!