虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「愛、アムール」

toshi202013-03-12

原題:Amour
監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ


 冒頭。開幕のシークエンスで、ある「事実」が提示される。パリの高級なアパートの一室。そこで、1人の老女がベッドに横たわって死んでいる姿で発見される。その顔はおだやかで、周りには花が飾られている。


 そして、物語は、ある夫婦の「最終章」を淡々と映し出す。


 その夫婦はともに音楽家である。ある夜、妻が音楽教師を担当した青年が、ピアニストとして大成し、夫婦は彼のコンサートへ出かけていた。そこから帰ってくるふたり。知的上流階級の穏やかな老後。広い住まいに、互いにいたわり合う会話と物腰。そこには、なんの不安の影も見られない。だが、その影は日常の中に突如、顔を出す。
 妻のある「異変」。妻はそのことに気づいていない。だが、確実に夫は彼女の異変を目の当たりにして、病院嫌いでいやがる妻を医者へと連れて行く。頚部に「ある病」が発見され、そして失敗率5%の手術を受けるも、その小さい確率にぶち当たった彼女は、右半身に麻痺が残る姿でアパートへと戻ってくる。もはや車いすなしで生活することは困難な妻は夫に言う。「もう、二度と病院へは戻さないで。」この懇願を、夫は引き受ける。
 しかし、病魔は少しずつ、だが確実に肉体を蝕み、穏やかだった彼女の人格を壊していく。夫はそれでも彼女と向き合い続けていく。


 日本でも決して他人事では済まされない「老老介護」を描いた作品であるが、この映画は基本、広いアパートの中でのみ展開する。
 夫婦には、美しく成長し、父母を敬い愛し、結婚して外国で暮らす娘もいる。アパートの管理人も親切だ。経済的にも恵まれてはいる。愛弟子が大成したこともうれしい。何より、夫婦は互いへの敬意を忘れない。そして、愛している。
 しかし、病魔というものは、幸せの度合いが高いほど、そして互いの愛が強ければ強いほど、彼らに肉体的にも精神的にも「地獄」をもたらす。病気の進行が進んでない頃は、会話が成立し、夫婦は日常の範囲内にいる。しかし、病気が進行すればするほど、彼らは「病によって失われ、もう取り戻せないもの」の大きさにのたうつことになる。
 身体的自由が徐々に喪い、寝ている最中に失禁してしまう屈辱に怒りを抑えられない妻。やがて、意識混濁し、記憶は途切れ、言葉すらまともに話せなくなっていく妻。そんな彼女を、夫はかつての懇願どおり、病院に押し込めることなく、自宅で献身的な介護を続けていく。だが、老人1人ではどうにもならず、やがて、看護士やヘルパーさんを頼むことで、何とか介護を続けていく姿をハネケ監督は、冷静な視線を崩すことなく見つめていく。

 映画の中に流れる淡々としたトーンの演出。しかし、そのあまりにも安定したトーンが逆に映画に凄みを与えていく。夫婦の生活は常の状態から次第に逸脱していくが、それでも、ハネケ監督はその目線を揺るがすことはない。やがて水を飲むことすら拒否しはじめる妻に、夫は思わず手を上げてしまう。生きて欲しい。その思いが爆発してのことだったが、夫は自分の行いにショックを受け、妻に詫びる。そして、夫が表面張力ぎりぎりのところまで追い詰められた時、彼はある決断を下す。


 彼らの老いも病も、生も死も。そして愛と喪失も。ハネケ監督はまるで等価値であるかのように冷徹に映し出す。しかし、だからこそ、この映画の終盤、現実から一瞬浮遊するかのようなシークエンスは、この映画に深い余韻を残す。
 この映画に安易な救いはない。しかし、だからこそ、そのラストで題名である、「愛」だけがスクリーンに残る。そんな力強い構造を持った作品である。(★★★★☆)


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