虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「愛を読むひと」

toshi202009-07-06

原題:The Reader
監督 :スティーブン・ダルドリー
脚本 :デヴィッド・ヘア


 1945年。ドイツ。
 通学途中、15歳の少年・ミヒャエルは突然気分が悪くなり、嘔吐を繰り返していたところを、21歳年上の女性、ハンナに助けられる。猩紅熱と診断されたミヒャエルは、回復後、彼女の元へと通うようになり、ハンナの方から体を許すことで始まったふたりの肉体関係は、その夏の間続く。彼女はミヒャエルに、行為の前に朗読をすることを要求し、少年は彼女にせっせと朗読していく。
 ハンナは路面電車の車掌という仕事を続けていたが、やがて事務職へと昇進すると、なぜか会社を辞め、その街を去り、ミヒャエルとの関係も、そこで途絶えてしまう。


 数年後、法科の大学生となったミヒャエルは、偶然彼女と「再会」する。彼女がいたのは、法廷の被告席だった。そこでミヒャエルは、そこで彼女が抱えた「忌まわしい過去」を知ることになる。



 正直に言うと、見終えたときは「セックス描写の演出がやたらエロかった」ということ以外は淡々と見終えてしまったのだが、帰りに飯を食ってしばらくしても、こころのもやもやが消えず、そのもやもやがどこから来るのか、しばらくわからなかった。
 この映画の狂言回しはミヒャエルその人なのだけど、ボクは15歳時代のミヒャエル以外はあまり共感できなかった。正直言って、ミヒャエルのナルシズムには辟易としたし、そこに共感を見いだすことは難しかった。そして、それでもなお、この映画に対するもやもやを振り切れない理由を帰りの電車に揺られながら考えて、しばらくして気付いたのは、自分がハンナの人生の方に共感していたことだった。


 彼女は何故、ミヒャエルに朗読を要求し続けたのか。そもそも彼女は何故、少年に体を許したのか。


 ふと考えてみると、ハンナに必要なのは「忌まわしい過去」や「忌まわしい現実」を振り払うことだった。その自分を救う方法を彼女が人生の中で見いだしたのは、「物語」の力だった。しかし、ある理由から彼女は長く「物語」を得ることが出来ずに人生を過ごしてきたのだ。それを得る方法を、彼女は「過去」において発見し、少年との関係の中で、それを改めて実行する。


 ミヒャエルにとって「美しい愛の儀式」とさえ捉えられていたその「朗読」は、彼女にとっては「今日、そして明日」を生きていくのに必要なことだった。そうして、彼女は「物語」による救いを得てきた。そして、「物語」を巡るハンナとミヒャエルの関係は、その後40年以上続く。


 この映画は「ひと夏の記憶」の物語ではなく、「愛についての物語」でもなく、「物語についての物語」なのであり、「物語」が持つ力がつなぐ二人の「関係」を描いた映画なのである。(★★★★)