虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「劔岳 点の記」

toshi202009-06-30

監督・撮影:木村大作
原作:新田次郎
脚本:木村大作、菊池淳夫、宮村敏正



 時は明治40年日露戦争終結し、国防のために日本地図の完成を急いでいた日本陸軍は、その険しさから「針の山」「死の山」と呼ばれる剣岳を測量しようとしていた。日本陸軍屈指の測量技師をもってしても未踏峰の、「空白地帯」だった。陸軍の測量部に所属する測量士・柴崎芳太郎(浅野忠信)は陸軍から、なんとしても、剣岳を踏破し、空白地帯を測量するように命令を受ける。そして、同じく剣岳登頂を目指す、日本山岳会よりも早く、登頂成功するように、とも厳命を受けた。
 前任の測量手・古田盛作(役所広司)に相談に行った柴崎は、アドバイスとともに山の案内人として宇治長次郎(香川照之)を紹介される。



 高名なる撮影監督の初監督作で、大変前評判が高くて、例によって僕はそういう作品にはハードルを上げてしまうくせがあるのですが、なんといったらいいのでしょう、最初見ているときは、正直言って「あれ?この人あんまり演出巧くないんじゃ・・・」ということが気になりながら見ていた。さすが撮影監督出身だけあって、衣装やセットの汚し方なんかも巧いし、カメラの画がかっちりしている分、余計に気になるのかもしれないが、それにしても俳優たちはそのまんま「現代の肉体」で「現代」の演技をしているように見えてしまったのだ。だから、登場人物の演技が、そのまんま演者の演技力そのものの反映だったりするわけで、その違和感は、実は最後まであった。まあ、偉大なる撮影監督が、必ずしも偉大なる演出家足りえるわけではないし、ということで、徐々に見方のハードルを下げて、構えずに見る心持ちになっていたのだが、その様相が一変するのは、柴崎が剣岳に本格的に挑みはじめてからである。
 スクリーンに広がる剣岳周辺の勇壮なる大自然が、とにかく圧巻であるが、木村大作の本領は、現代の俳優をそのまんま大自然に放り込み、大自然と格闘する姿を、ガチで撮りに行ったことだ。つまり、そういう画を撮りたい、という一心でそういう挙に出たわけだが、まー・・・見てる間、思ったね。


 「狂ってる」。


 一行が吹雪の中で四方もわからず立ち往生し、宇治が吹雪の中へと消えていく画とか、もう、明らかにそのまさに吹雪が直撃している中で撮ってなきゃ撮れないような画なわけですよ。ほかにも横殴りの雷雨の中、宇治が必死に天幕を飛ばされないように支える画とか、絶対スタジオとかじゃ再現不可能な猛雨の中で撮ってたりする。まー、頭おかしいですよね。とにかく撮りたい画を撮るためならば、命がけでも、ていうか演じ手を危険にさらしてでも、史実の人間が辿った記録に、愚直なまでに忠実に追いかけるその執念。それこそが、木村大作という監督の、突出した個性であり、狂気だと思う。
 そして、そこには演出はいらない、という確信もあったのではないか、と思う。大自然の中では、そこにいるのが「柴崎芳太郎」であろうと「浅野忠信」であろうと、そこに大差はない。たとえスクリーンに映っている対象が、現代人の肉体であったとしても、悠久の大自然と格闘する「人間」が撮れたならば、映画的にきらめく一瞬が撮れる!という狙いが木村監督にあったのか・・・は定かではないが、それこそが、この映画の最大の価値ともなっている気がする。


 だから、俺はこの映画が、劇映画としては決して傑作とは思わないんだけど、この映画が大スクリーンにでかでかと映し出す、常人には理解しがたい領域の感覚で「画」を撮りに行く作り手の感覚にこそ、戦慄したのでありました。すごい映画、というか、すごい美しく、すごく壮絶な映像の、劇映画風ドキュメンタリーを見た、というのが、率直な感想。まー、だから、とりあえずこの映画はぜひスクリーンで見るべし!(★★★★)