虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「レッドクリフ」後編

toshi202009-04-10

原題:赤壁 決戦天下
監督:ジョン・ウー
脚本:ジョン・ウー/チャン・カン/コー・ジェン/シン・ハーユ
音楽:岩代太郎



レッドクリフ」前編感想
http://d.hatena.ne.jp/toshi20/20081101#p1


 前編終了から半年間の「休憩」を挟んでの後編。


 孫組の若頭・周瑜は悩んでいた。
 その暗黒街の警察署長は、国の威信を笠に着て自らに逆らう者を次々とつぶしていった。その署長・曹操の横暴に街の人々は耐えかねていた。仁義を通すがゆえにいまだ芽が出ない百姓上がりの苦労人・劉備率いる劉組は、今、署長の格好の標的になっている。その組の若頭である孔明なる男が敵対しているはずの周瑜の元を訪ねてきたのは、互いに杯を交わし、「ヤクザ同士で横暴な警察に対抗しましょうぜ、旦那」という持ちかけであった。
 その街の南東に広大なシマを持ち、警察も易々と手を出せずにいた名門ヤクザの孫組であったが、組長は気弱な26歳のおぼっちゃんであり、そこをつけこまれるのは時間の問題だった。なにより、警察署長はその若頭・周瑜の新妻・喬子たんに目をつけており、彼女似の愛人を囲ってイメージプレイほどの入れ込みよう。他人の妻を横取りするのが大好きな、人妻マニアだったのである!
 そう、劉組に対する警察署長の弾圧は、このヤクザ同士の共闘を見越してのものだった。人妻欲しさに、警察署長は警官隊を増強し、ヤクザを街から一掃し、自分がそのヤクザ利権と、人妻・喬子たんを手にしようとしていた。
 周瑜は決断する。俺たちのシマも俺の妻(おんな)も署長のゲス野郎には渡さない!
 周瑜は人妻マニアの署長に天誅を加えるべく、孔明くんの「杯交わしてマッポぶっ殺死作戦」を受け入れ、首を縦に振らない組長にスパルタ教育を施して、精神を矯正して、承諾させた。


 かくして、街は警察対ヤクザの、全面戦争につつまれた。そして、川をはさんで最後の戦いが幕を開けた!この戦いに勝者はあるのか!


 というわけで、「三国志」の赤壁へと至る過程を見事な「画」で描いて見せた前編から一転、後編では「三国志」の赤壁の戦いを元にしていながら、正史とも「演義」とも違う、「呉」から見た赤壁物語として、独自性を帯びていく。なによりも、周瑜を「高潔な人物」として描きたいがために、「劉備側」を堕として「孫権側」を上げる、ということをしていて、「横山光輝三国志」辺りから入ったわたくしなどからすると、思わずスクリーンの前で「ええー!?」と思うような行動を劉備が取る。
 ぼかあ、孔明にコンプレックスを抱いて、孔明の発言に異常と思えるほど気にしたりおびえたりする横山版周瑜が大変好きなので、祭壇使って孔明が儀式を始めたら東南の風が吹き始めたときの「孔明は鬼か魔か」というセリフや、魯粛から報告を聞いた周瑜が「やった!孔明をあざむいた!この策は成功するぜー!」と見抜かれてるのも知らずに無邪気に喜んだりする姿が見られないのは残念だったなー。


 で、後編の脚本の筋立てが、「迷惑度が甚大な組抗争」みたいなノリになってきて、しかも「人妻にご執心すぎて戦を起こし、常にイメージプレイを忘れない」上に「怒りっぽくてうっかり有能な人材を殺しちゃう」曹操と、「赤ん坊の息子を守るために妻が死んだばかりなのに、他国の君主の妹に目移り」しちゃったり、「頼んで同盟組んでもらった相手を一方的に反故にして戦線離脱する」劉備*1という、「迷惑すぎる老人」たちに振り回される、若者だらけの「孫権軍団」という感じになっていて、その若者たちに共鳴する青年孔明、というかたちで、赤壁を描く、という「呉」びいきが過ぎる感じで描かれているのを、どこまで楽しめるか、というのが、ポイントか。
 ていうか、尚香たんがなぜか敵陣営に乗り込んでスパイの真似事をしていていて、敵兵士と友情を育んだり、東南の風が吹くまでの間、小喬曹操の下に乗り込んで、東南の風が吹くまでお茶を点てて引き延ばす、というオリジナル展開は、ファンにしてみたら、どうなのだろう、という気がしないでもない。
 赤壁はただでさえ面白エピソードが満載でそのすべてを5時間程度じゃ描くのは無理と判断したのかもしれないが、それにしても老将軍・黄蓋の一世一代の見せ場がカットされてしまうとは思わなかった。やはりジョン・ウーの眼目は「青年たちの苦闘」と「スペクタクルとしての赤壁」にあって、そこに時間を割きたかったのだろうと思う。


 でも、まあ、そのおかげで、赤壁のクライマックスは大迫力。東南の風が吹き、火計により曹操の大船団ががんがん燃えていくシーンは、スクリーンで見るべきど迫力で大変眼福。
 で、戦いは、水上戦の後に陸戦へと移っていくのだけれど、君主とか軍師が(一部を除いて)前線に出て雑兵に混じって闘う、という、ヤンキー映画ばりの「指揮官がいない戦争」がスクリーン上に展開されていて、すごいね。
 なんせ、孫権劉備が前線に出て、雑兵と闘ったりするのだ。ひとりはみんなのために!みんなはひとりのために!みたいな。
 そういや、この映画では曹操が兵士の隊長を「けまりが巧い奴かどうかで決める!」という珍シーンがあるんだけど、言ってみればこの戦争描写は意外と「スポーツ感覚」なのかもしらん。


 三国志としての名シーンを織り交ぜつつも、ヤクザ映画の延長線上としての三国志へとその色を変えていく。「三国志映画」としての完成度を求めるよりも、「赤壁」を舞台にした娯楽映画として頭を切り換えて楽しむ方が得策かもしれない。銃が刀に変わったジョン・ウーアクションも散見されるなど、自らの文法を三国志の世界で律儀にやってしまうジョン・ウーという人は、根っからの娯楽映画監督なんだなあ、と思う。
 困ったおっさんたちに振り回される中で、孔明周瑜は邂逅し、共闘する中で絆を結ぶ。三国志という物語世界にあっても、「友情」が戦場を変える、という根幹へと集約されていく物語は、「三国志」にはない「明朗」さがあり、そこが「ジョン・ウーが描きたかったもうひとつの「赤壁」」なのかもしれない。(★★★☆)

*1:あとで「理由」があることがわかるんだけど。