虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「トロピック・サンダー」

toshi202008-11-24

原題:Tropic Thunder
監督:ベン・スティラー
脚本:ベン・スティラージャスティン・セロー、イータン・コーエン


 「俺はカーク・ラザラスだ。俺には・・・何もない。」


 その映画は暗礁に乗り上げていた。主演は落ち目のアクションスター、演技バカのアカデミー賞俳優、下品なギャグが売り物でヘロイン中毒のコメディアン。


 その映画、「トロピック・サンダー」はベトナム戦争の生き残りの兵士が書いた大予算戦争映画で、内容もドシリアスなのだが、監督が無能なためどんどん予算が嵩み、ハリウッドのプロデューサーに最後通告を突きつけられる。追い詰められた監督が採った作戦は、主演級の役者をジャングルに放り込み、爆薬係と原作者に火薬係をまかせ、ゲリラ撮影によって真実味を獲得しよう、というノープランなものであった。
 ところが、現地に着いて撮影を始めようとした途端、監督が地雷によって爆死。しかもそこは、よりにもよって麻薬シンジゲートの巣窟だった・・・。役者たちは、生と死の交錯するジャングルを生き抜かなくてはならなくなる。


 映画を見る側のための映画ではない。てっきりシチュエーション・コメディだと思っていたのだが、どうも作る側の眼目はシチュエーションの先にあるもの、であったらしい。


 この映画がものすごく変わっているのは、コメディでありながら、ものすごく内省的な映画であるからで、その有り様はこの映画で主人公の俳優たちが追い込まれる状況が、シャレにならない過酷さを伴っていることでもわかる。映画後半は笑えるか笑えないかのギリギリのところまで主人公たちは追い込まれる。
 無論、キャスティングは豪華で目に楽しく、下品なギャグも連発されるのだが、それ以上に物語自体が実はものすごく辛辣な話なので、そっちの方に引き込まれていく。


 監督は死亡、リーダー格のアクションスターは地図が読めないため、迷いに迷い、仲間と決裂したあげく麻薬を扱う現地マフィアにとっつかまる。
 アクションスターがかつて演じた作品で、ゲリラたちに俳優としての存在を認識してもらったはいいが、マフィアは莫大な身代金をプロデューサーに要求する。だが・・・プロデューサーはそれを一蹴する。役者にはいくらでも替えが利く。しかも人質は落ち目のスターだ。いずれ消え去る運命ならば、今死んでも同じ事だ。プロデューサーはそう言って、彼を見殺しにする手を選ぶ。
 役者にとってはあまりに残酷である。しかし、それがハリウッドの本音なのだ、と「役者」ベン・スティラーは喝破する。
 アクションスターは現地の人間の前で、かつての自信作の再演を迫られ、徐々に映画役者としての成長を見せ始める。だが、彼は見捨てられた。いつ殺されてもおかしくない状況で、彼は少しずつ正気を失い始める。彼の最後の希望は・・・決裂したはずの仲間たちだった。


 いくらアカデミー賞を取っても、本当の戦場では何の役にも立たない。映画を統括する監督もいない状況で、役者たちはやがて役者としてではなく人間として、この危機をどう立ち回るか、という局面に立たされる。
 この映画は、役者というものが如何に社会的に役に立たない道化であるか、というものを冷静に見つめながら、それでも俺たちは、ゴミなんかじゃない。人間なんだ、と叫ぶ。


 役者には役者の戦い方がある。ホンモノの銃弾が飛び交う戦場で、彼らは自分自身を解放し始める。彼らは「映画」から解き放たれ、「自分自身」の物語を生き始めるのだ。
 この映画で本当に感動的なのは、アカデミー賞俳優でオーストラリア人で金髪碧眼なのに、肌の色を変えてまで黒人になりきっていた男が、一枚一枚自らの「虚飾」の皮を剥いで、自らを認識するシーンだと思う。そのとき「男たち」は「トロピック・サンダー」という、嘘にまみれた物語の呪縛を超えていく。
 その時、この作品は映画としての真の物語を獲得する。


 監督が死のうが、役者が精神的に追い詰められようが、プロデューサーは踊る。そんなクソみたいなハリウッドというジャングルで、それでも俺は、俺たちは映画を作る。この映画は、優秀なコメディであると同時に、「役者」であり「監督」でもあるベン・スティラーの大まじめな叫びである。傑作。(★★★★★)