虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「闇の子供たち」

toshi202008-11-20

監督・脚本:阪本順治
原作:梁石日


「金を払って何を話せる?」「現実だ」


 ようやく見た(@109シネマズ木場)。


 この映画が公開されてかなり経ってからの鑑賞ということで、かなり感想が出そろっているなかで、ひとつ、面白い反響が「これは在日韓国人(原作者:梁石日氏)のデマ映画だ」と言おうとする流れだ。なんか「はあ?」と思っていくつか読んだのだけれど、割とそういうことを平気で言える人間がいて、面白いな、と思う。この映画はもちろんフィクションなわけだが、こういう実態そのものが「作り物」でそれに関わる日本人なんかいるわけない・・・というわけだ。ため息が出た。


 つまるところ、この映画の扱う題材が、この幼児性愛売春に連なる臓器売買のシステムに日本も無関係ではありませんよ、という流れにしたことで、そういう「日本人を悪く言うヤツは捏造野郎だ」と決めつけないと耐えられない、心と頭の弱い人たちがこの世には厳然としているのだなあ、と感心する。
 これがフィクションであろうがなかろうが。日本人が関わっていようがいまいが。この映画が描こうとしているものと向き合えば、そんなもの、ささいなことであると分かるはず。この映画の見ているものは、子供の尊厳すら金で買える、という世界がこの地球には存在している、ということであり、子供を犯しているのが韓国人だろうが中国人だろうが、結局そんなことはささいなことに過ぎない。


 そういうものを描くことが、どれほど勇気がいることなのか。そんな想像も出来ない人間がいること。人間って難しいよな、と思う。
 この映画はあくまでも日本人の目線から、バンコクに横たわる臓器売買ルートを伝え聞いた特派員が、臓器売買の闇を追うところから始まる。そして、NGOでバンコクに来た女性や、報道カメラマンに憧れる青年らと共闘しながら、ひとつの「結果」を見つめようとする。
 外側から「現実」を見ることしか人間の無力さとともに、そのシステムにどっぷりとはめられた幼い姉妹の悲劇と、そのシステムの中で虐げられながらも、結局その世界でしか生きていけない臓器売買仲介人の男(プラバドン・スワンバンが好演)の、それぞれの生き様の哀しさが胸を打つ。むしろ、本来描くべきは彼ら自身の話ではあるのだが、資本主義という暴力が、時に何をするのか。それを描くには、他者の介入が必要になってくる。
 被害者だったはずの子供が大人になってどうなるか。その一端を示唆している。子供時代に売春を強要された子供たちが、このときのトラウマを超えていけるだろうか。時間と愛情がいるだろう。


 世界を変えるのは難しい。そして、それは時に我々も足下をすくわれる日もあるかもしれない。この映画の主人公もまた、決して無関係ではいられなかった。


 「その国にはその国のシステムがある」。そう言い捨てた仲介人の男は、臓器売買提供のため売られていく少女に最後、シャンプーをして、きれいな服を着せて送り出す。そして彼女に向かって「その服かわいいよ」と語りかける。それはまるで、贖罪のようだった。そして、かつて同じように虐げられた自分に語りかけるようでもある。
 そしてラスト、逮捕されながら、晴れ晴れと笑って警察に護送されていく。彼にとってのひとつの連鎖が、終わりを告げたという笑顔だったのだと思う。誰も守ってくれない。誰も救ってくれない世界を生きた男が、一人の日本人女性の奮闘で救われた。


 日本人を決して悪く描くだけの映画でないことは、この結末を見ればわかるはず。問題は、子供を使い捨てのおもちゃのようにゴミとして捨て、「この子の命、VISAで。」と言って命を危うくした少年を買っていくドイツ人カップルのような行為がまかり通る世界の方だ。
 この映画に、善も悪もない。理不尽な世界が、横たわっているだけだ。それを終わらせられるもまた、人間だけだ。(★★★★)