虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ダークナイト」

toshi202008-08-09

原題:The Dark Knight
監督:クリストファー・ノーラン
脚本:ジョナサン・ノーラン/クリストファー・ノーラン



「本当の交渉ってやつを見せてやろうか?如何に相手に冷静でイカレてるか理解させるのがコツだ。」冨樫義博HUNTER×HUNTER」より)


 自分が「バットマン・ビギンズ」という映画の何が嫌いだったかっつーと、とにかくバットマンの手の内をすべて明かしていく無粋さだった。バットマンは決して超人ではなく、生身である。そこにひとつひとつスーツをこしらえ、ごっついバットモービルを会社の金で開発、警察の協力を仰ぎつつ、悪人の前に出るときは、いかに「ハッタリ」を利かすと有効だ、なんて話までしていて、正直「お前はマギー司郎か!」というツッコミをしてしまうほどだったんですが。そこまでして正義の味方を志向する変人、ブルース・ウェインが、自らを「自己演出」していく姿こそが、「バットマン・ビギンズ」の本質だった。


 その続編がこの「ダークナイト」。

 実を言うとこれは、「バットマン・ビギンズ」と「コインの表裏」である。


 
 「ビギンズ」で「如何にして悪人に対して自分を効果的に演出するか」という自己演出で悪人どもを追い詰めてきたブルース・ウェイン。それに触発されたのが、類い希なる「才能」を持ちながら「コソ泥」に甘んじてきた「ジョーカー」である。
 「ジョーカー」はバットマンの本質を見抜き、同じ土俵で闘うために犯罪組織に自分を売り込む。「如何に自分は狂気の男であるか」を。そして「自分ほどの狂気を持たなければバットマンは殺せない」とも。そして、組織はジョーカーにすべてを託す。
 この映画での彼は快楽殺人者ではない。殺人も彼の「演出」の一部に過ぎず、殺しは厭わないが、それはあくまでも自分の目的を果たすために行動しているに過ぎない。それは・・・「世界を混沌で満たすこと」だ。そのために彼は、あらゆる罠をめぐらし、バットマンや警察関係者、「光の騎士」と呼ばれる気鋭の検事ハーヴィ・デントを追い詰めていく。


 この映画において、ブルース・ウェインが口にする、ジョーカーに対する「勝ち/負け」の概念とは、彼がバットマンとなって以降行ってきた「正義の伝道」を民衆が肯定するか否定するか、ということである。ブルース・ウェインは基本的にそのためにバットマンを続けているのであり、素顔のバットマンが現れるのならば、それが一番いいと思っている。その努力が実を結ぼうちしたその時、それを覆しにきたのが「ジョーカー」だった。
 バットマンの「正義のプロデュース。」に対して、敢然と立ち上がり、混沌を振りまきながら、やがて「バットマン」に正義の十字架を背負わせ続けようとする。


 正義にイカレた男か、混沌にイカレた男か。
 

 この映画がすごいのは、言ってみればジョーカーという男の「自己演出」のキレっぷりだと思う。俺は見ていて思ったんだけど、彼の狂気の本質は「頭の回路がおかしくなる」というたぐいのものでは決してない。ものすごく冷静に自己を狂気を如何に相手に冷静に伝えるか、その冷徹なまでの計算を行い、それにしたがって行動している。自分の身の安全もきちんと配慮に入れているが、あくまでも彼の目的は如何に世界を混沌に導くか、という「ゲームの駒」としての自分を生かすことであるから、本質的に「ゲーム」に勝つために死ぬのは全く厭わない。

 たとえばバット・モービルでみずからに突進してくる時、彼は言う。「轢き殺せ!」。これは彼が自分の側に来ていなければ轢き殺さない、という確信からそう挑発する。轢き殺せばルールを犯させた時点で「俺の勝ち」なのだ。だから、バットマンが彼を轢き殺すのを躊躇すると、言いようもない複雑な表情を浮かべる。
 大胆不敵な行動力、嬉々として悪意にいそしんでいるだけの「フリーク」に見せるか、という自己演出を本能で「演じる」天才。それこそが「ジョーカー」。


 誰をどのように押せば、彼らは悪の手に落ちるのか。彼は熟知している。そして彼は自らの中の「悪」を、究極にまでクリエイトしてみせる。世界が燃えるのをただ楽しむ。そのためには何をすればいいか。彼の行動は、まるで即興でつくられたかのように予想外でありながら、その旋律は高らかに美しい。彼の中には圧倒的な「虚無」と「混沌を欲する心」が絡み合いながら広がっているが、その絶望のありかをジョーカーはあえて言及しない。「WHY SO SERIOUS?」にまつわる話も、どこか作り物めいていて、彼もまた「冗談だよん」というニュアンスを匂わせる。彼の虚無のありかは、当人だけしか知り得ない。
 彼は自分の中にある「闇」を人々に伝導しようとする。世界を混沌に導く快楽を君たちに教えてあげよう。それこそが、正義の伝道者「バットマン」と相対する唯一無二の方法だと、彼は本能で気づいている。彼は「悪」の伝道師として、その脳髄をフル回転してみせる。それをバットマンもまた、本能で理解し、非合法な手を使ってまで彼の目論見をつぶそうとする。このとき、バットマンの方もまた、一線を越えている。


 そんなジョーカーの本質を演技で表現するに足る俳優。それこそがヒース・レジャー。彼はこの「悪をクリエイトする天才」をリアルに演じるために、まさに命を削り、果てた。そしてそれこそが、この映画をかつてない高みへと押し上げている。(★★★★★)