虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「28週後...」

toshi202008-01-20

原題:28 Weeks Later
監督:ファン・カルロス・フレスナディージョ
脚本:ローワン・ジョフィ、ファン・カルロス・フレスナディージョ、E・L・ラビニュ、ジーザス・オルモ



 愛が世界を滅ぼす。この映画は、恐ろしいことに、そんな絶望を突きつける。


 断っておくと。この映画を見たのは、ちょうど時間が良かったから、という消極的な理由で前作を見ないで鑑賞だったんだけれども。それでもこの映画、ちょっとすごいなと思った。


 この映画は、安全が戻ったはずの米軍管理下のイギリスの街で、ゾンビになる病が再発する最悪の二次被害を描いた映画なんだけれども。一人の男の「罪悪感」から始まっている。この映画は誰が悪かった、と言える映画ではなく、さまざまな予期せぬ要素が絡み合っている。そしてその「感情」の発露は、決して「悪意」ではない。ただ、愛するものがいて、誰かに会いたいと願ったり、自分の罪にのたうち回ったり、もしかしたら悲劇を防ぐ手だてになるかも、と願い、殺すのを躊躇した結果、物語は、一歩一歩「最悪」に向かっていく。


 どうすれば良かったのだ。その事態が起こった時、おそらくひとりひとりが思ったのではないか。俺は、ボクは、アタシは、私は。最悪の事態が起こった時「あの時、どうすれば良かったのだ」と。


 あの時、見捨てなければ。あの時、ママの写真を欲しなければ。あの時、ママをみつけなければ。あの時、彼女を殺しておけば。あの時、口づけをしなければ。そもそも、この国に戻ったことが罪なのか。


 災厄は一気に広がり、つかの間の平和という静寂が破られた時、それぞれがそれぞれに罪を背負いながら、生き残る術を模索する。手を汚さずには生き残れない。米軍は住民を人もゾンビも関係なく「正義」の虐殺を始め、ゾンビと人が、それぞれの生存の可能性を狭めていく。死ぬことよりも、大事なことはこの「選ばれし子」を救うこと。彼らを死なせてはならない。ひとり、またひとり。姉弟を生かすために死んでいく。そのたびに、罪は人にのしかかる。


 愛が、「罪悪感」という呪いを増殖させる。誰かのために必死になることが、人々にさらなる「罪」を背負わせる。それでも人は、愛という名の「希望」のために生きざるを得ない。この映画の残酷は、まさにそこにある。ラストシーンで突きつける絶望的な光景で、自分が思わず戦慄したのは、この映画が向き合い続けた、「呪い」の冷徹なまでの救いのなさについて、だと思ったのです。(★★★★)