虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「転校生/さよならあなた」

toshi202007-08-03

監督:大林宣彦


 おなじみ「転校生」を大林監督自らリメイク。


 この映画は違和感から始まる。


 母と息子が電車にゆられている。彼らはこれから、母の故郷の信濃へ向かうらしい。なぜわかるかというと、この親子、ものすごく観客に分かりやすくあまりにも台本通りの言葉のキャッチボールを展開するからである。矢継ぎ早の会話。そのくせ、セリフは「ナチュラル」さからかけ離れている。あまりのことにどきりとする。予定調和のことば、用意されたセリフ。それを矢継ぎ早に応酬する。
 このこころのこもらない、やり取り。間や会話の緩急とか、そういうものを一切関知しないその、スピード重視の会話。だがそこに、ぴったりと演技はついてくるのである。セリフと演技を一致させるのに、演じる側が苦労しているようにも見えるのだが、映画はそんなことはおかまいなしに突き進む。


 なんだこれは、とおもっている間に話が進む。主人公は昔信濃に住んでいたことがあるけれども、父親の仕事の都合かなんかで尾道へ引っ越したのだが、両親が離婚したため出戻りしてきたらしくて、そしたら転校先に、自分と幼馴染と言い張る、名前が一字違いの女子が自己紹介の時にということが、これでもか、というわかりやすい説明セリフばりばりの台本と異様にキビキビした演出で、簡潔に述べられていくという。
 「理由」の時も思ったけど、年々不自然度が増していってる気がする。そうこうしているうちに、2人の身体の中の意識が入れ替わってしまう。


 ヒロインは料理が得意で空想好きで、だけどとてもなよなよしい「男の子」。一方主人公はガサツでぶっきらぼうでだけどピアノが得意、という「女の子」。


 この頃になると違和感を感じていたはずの「不自然」は「当たり前」のものになっている。戯画化というのとはちと違う。その圧倒的な「変」を当たり前にしてしまう腕力。不自然なはずなのにそれが自然。この作品の異様な「押し出し方」は尋常じゃない。。
 普通じゃない会話すら普通と言い切ってしまえばそれは普通だ。およそ現代の子とは思えないキャラの男子がいたとしても、俺がいるといえばいる。現代を舞台にしながら、およそリアリズムに迎合しない大林演出は、不自然という名の自然体で自分の色に染めていく。


 その「不自然こそがおれの自然」という大林マジックにかかったかのように、「女の子の身体」という箱に押し込められた一夫、「男の子の身体」という箱に押し込められた一美、それを悟りながらも受け入れて「一美」を愛そうとする文学好きの彼氏など、不自然なキャラクターたちを、まるで自然であるかのように演じていく。


 観客はこうして不自然を自然と受け入れていく。


 とは言いながらも、この入れ替わった後の主演二人(蓮佛美沙子森田直幸)の演技は、素晴らしい。男女逆転という現象から生み出される、家族、学校、肉体まで入れ替わったゆえの、シチュエーションのおかしみは時代を超えるのだね。蓮佛美沙子は、下着姿になっても、ギリで裸になってもエロすぎない感じがね、かえって監督のドストライクなんでしょうな。なるほど、魅力的に撮れてます。
 そんな不自然なシチュエーションで七転八倒しながら日々をやりすごす彼らに、CMの後(嘘)思いもよらぬ運命が!

 なんと身体が入れ替わったまま、一美の身体(中身=一夫)が不治の病にかかってしまう!
 なんという運命の皮肉。だが、それがふたりの距離を近づけていく。一美の精神がかつての自分の身体を愛しみ、一夫が一美の身体に留まる決意を示すことで、彼らには誰にも断ち切らせることはできない絆が生まれ始める。体が入れ替わる理不尽と、難病という理不尽が組み合わさり、物語は複雑になっていく。
 個人的に好きなのは、死を覚悟した一夫(身体=一美)が、あくまでも他人の子の見舞いとして病院にきた実母に会う場面。これがね。すごい、良くて。本当はこれが終の別れになるかもしれず、「自分は一夫」だと言ってしまいそうになりそうなところを、そっと一夫(中身=一美)の心配を口にする場面。これはね、「おまえ男だ!」と思ったね。ここが一番泣けた。


 二人だけできっかけとなった池へ向かう旅路の中で互いの生と死を共有していく。ここらへんがまた、たまらんのですよ。


 さよならの歌は切なくひびく。運命はゆっくりと残酷に別れを示す。ただ、そこに死を通過した少年は新たなる人生を生きる。そこにある、なんともいえぬ切なさ。死という現実を受け入れることのさびしさをも感じさせるラスト。


 そして少女は少女のまま永遠を生きるのだ…。



 ん?


 ここで俺は、ぞわっとしたものを感じ我に返る。はっとその不自然に立ちすくみむ…。なんということをするのか。(若造なんぞに、ミサたん(蓮佛美沙子)は渡さない!彼女は永遠の少女として、俺が墓場までもってゆく!)ここで俺はようやく大林監督の少女という存在への異様な執着に気づき、慄然とするのだった。


 大林宣彦当年とって69歳の、おそるべき作品だと思った。いろんな意味で。(★★★★)