虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ダイ・ハード4.0」

toshi202007-07-04

原題:Live Free or Die Hard
監督:レン・ワイズマン
脚本:マーク・ボンバック


 面白かった。懐古趣味の人への目配せもしてあるけれど、すっごく「今様」な映画だと思った。


 なんとなく事前情報で出ていた「サイバーテロ」という題材に、「ええ?」となんとなく嫌な予感があったのだけれど、いい意味で裏切られた感じ。オタク監督・レン・ワイズマンがあえてこの題材に挑んだのも、見れば納得した。
 ネットって、生活レベルでは格段に普及してきたし、やれることもものすごく大きくなってはきたけれど、社会のネット依存度って実は大して高くはない。肉体がなければやれないことはいくらでもあるし、国家的な危機を引き起こすほどではないことは、ネットに馴染んでる人間であればあるほど知っていると思う。つまるところ、ネットに関わることでわかるのは、実体のある「肉体」がやれることの大きさだ。
 ネット世代であればあるほど、肉体的・精神的にタフな強い「ヒーロー」を欲する心理がある。


 作り手は、世間になんとなくある「ネット万能感」を逆手にとり、オタクがジョン・マクレーンにとって「有用」である方便として、「ネットを支配することで国家が乗っ取れるほど、ネット依存度が高まった社会」というファンタジーである、と割り切って作っている


 ジョン・マクレーンは、そもそもは「一介の刑事」であり、そんな男がテロ組織に戦いを挑む、という構図が、1作目当時としての「新しさ」だった。1作目から19年、「3」から13年の月日が経っている。にも関わらず、本作のマクレーンは昔とほぼ変わらぬ動き、いや、それ以上にタフに見える。なんか年齢を重ねれば重ねるほど活躍する「あぶさん」みたいな。
 それは、リアルなマクレーンとは対極の、「ダイ・ハード」好きなオタクから見た「理想の年齢の重ね方をした頼れる親父」としてのマクレーンであり、しょぼくれたマクレーンには作り手は一切の興味がなかったと思う。そしてそういうキャラクターであればこそ、本作で考え方もデジタルなコンピューターオタクの青年と、アナログでタフな「ヒーロー」としての対比が生まれる。


 特に面白かったのは、ネット依存度が高まった世界でハッカー稼業をする青年が、知らずに犯罪に手を染めていたことに気づき、マクレーンが説教する場面。これはね、なんかすごい説得力があった。
 今回の「相棒」は言ってみれば「敵」と同じ感性の青年であり、そういう青年を味方に引き込んだからこそマクレーンは彼らと戦える。しかし、彼らの罪の重さを知っているマクレーンに出会うことで、青年は根本的に考え方を改めさせられることになるという流れは、面白かったし、オールドファンの溜飲の下がる場面でもあるだろう。


 ネットとは関係のないところでも世界は動いている。「スタンド・アローン」のシステムの存在と、デジタルに多くを依存しない「異分子」マクレーンこそが、敵にとって最大の脅威になってくる、という流れは、ダイ・ハードシリーズである必然性も出てくる。「やるなあ」と思った。
 こうなるともともと持っているワイズマン監督の「大ざっぱ」で「デジタル」な作家性が、ものすごく有用に働き、大仰な中に犯行予告を大統領演説の「MAD動画」にするなどデジタルな感性をしのばせることで、異様に説得力のある世界観が創出できている。
 13年ぶりのシリーズものであるにも関わらず、ゼロ年代であるからこその作品にするという冒険を行い、きちんと完成度の高い形で成立してみせた、作り手の情熱と心意気が素晴らしい、と思った。(★★★★)