虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「今宵、フィッツジェラルド劇場で」

toshi202007-05-11

原題:A Prairie Home Companion
監督:ロバート・アルトマン
原案・脚本・出演:ギャリソン・キーラー
原案:ケン・ラズブニク



 映画を見るとは何か。それは作品との「出会い」である。俺はそう思う。批評なんてくそくらえ。人も映画も、出会い方ですべてが決まる。映画とのすばらしい出会い方こそが、映画にとってもっとも重要なことだ。



 そして俺がそこを訪れて、その作品に「出会った」のは、まったくの偶然だった。



 いや、偶然というのは正確ではない。そこにかかっている作品は是非見たいと思っていたし、前売り券も買っていたのだが、私がまごまごしているうちに、メイン館での上映は終了し、そこでのレイトショウが都内の劇場で、その作品を見る最後のチャンスになってしまっていたのだ。
 ゴールデンウィーク中(と言っても俺には関係ないんだけど)の間に行っておこうとおもいながら、気がつけばその日が最終日。
 私は会社帰りに、そこへやってきたのだ。


 吉祥寺バウスシアターに。


 考えてみれば、俺は吉祥寺には初めて来た。俺が新宿から先にある中央線沿線で降りたことがあるのは、中野と東中野、それと高尾だけだ。その間には降りた経験がなかった。東京の下町に住む俺にとって降りる必要もなかっただけだが。
 しかし、それがよかった。初めて訪れる町、というのが良かったのかもしれない。しかもバウスシアターの場所が、駅からちょっと離れたアーケード街の片隅にある、という風情もよかった。
 はじめての街、はじめての映画館。最終日の最終上映。


 俺は、そこでこの映画を見た。終わりのはじまりの物語を。



 その日。長年ラジオショウを上演してきたフィッツジェラルド劇場は、今宵の放送を残して30数年の歴史に幕を下ろすことになっている。ラジオ局を買い取ったテキサスの大資本が、劇場を更地にして、パーキングにしようとしていた。
 出演者たちは名残惜しそうに思い出話を傾けつつも、長年こなしてきた仕事の準備に余念がない。ここに彼らの人生の多くが眠っている。そんな劇場が、まもなくなくなってしまう。感傷的にならないはずがない。しかし、このラジオショウはしんみりさせるわけにはいかない。変わらないことこそが、このラジオショウの特色だからだ。
 司会者が名調子でローカルCMの口上を述べながら、彼らは手際よく準備を進めていく。この手際の良い仕事ぶりが、すでに彼らの日常の一部だったのだ。皆それぞれに年をとった。それでも彼らの体が仕事を覚えている。例え明日から、その仕事がなくなったとしてもだ。


 俺はそのさまを見ながら、映画にトリップした。見知らぬ街の見知らぬ映画館。レイトショーにも関わらず、意外と盛況な館内で、この映画を見ていると、私は、そのフィッツジェラルド劇場の最終回に、ふらっと立ち寄ったかのような錯覚を覚えていた。
 この映画のすごさは、俳優のパフォーマンスに映画そのものを預けていることだ。彼らの歌や演技に、登場人物たちの人生を託している。楽屋裏はともあれ、ステージでは変わらず楽しいステージが繰り広げられている。そのステージこそが彼らのもうひとつの人生なのだ。
 やがて、事件が起こる。老歌手が控え室で息を引き取ったのだ。少なからず動揺する出演者たちだったが、彼らはステージを続行する。ステージの幕はすでに開いている。放送も始まっている。だから、ステージで愉快に歌うことこそが彼への餞。2人のカントリー歌手は下ネタを連発しながら哀しみを吹き飛ばし、歌手たちは声を合わせて「急いで別れを告げないで」と歌う。


 この映画では大仰な奇跡はあまり起こらない。天使が降りてきたりはするけれども、彼らの人生を救うことはない。天使は数名の運命を見取りながら、劇場を去っていく。
 彼らの中のひとつの人生が終わる。しかし、そのことが、実は大きなドラマそのものだ。悲壮な感じはない。淡々と、しかし軽やかに、彼らの中の、時代の終わりを楽しむ。


 俺は「偶然」そこに立ち会ったのだ。それはなんという奇跡だろう。たとえ錯覚だったとしても。(たとえそれが俺の怠惰さがその一端だったとしても)。俺は、なにか天啓のようなものを感じずにはいられなった。この日、この場所で、この作品を見たこと。俺はこれから先、忘れることがないだろう。
 そして、たとえ人生は苦しいものだとしても、彼らはステージでは明るく楽しく、フィッツジェラルド劇場と、観客に別れを告げる。それはまさに、この作品が遺作となった、ロバート・アルトマンの生き方だったのではないか。そう思うとき、この映画が彼の遺作となったことこそが、まさにすばらしい奇跡なのかもしれない。
 久々に得た深い余韻のなかで、1時間以上かかる帰路につく電車に揺られながら、そんなことを考えた。(★★★★★)