虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「バベル」

toshi202007-05-14

原題:Babel
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
脚本:ギジェルモ・アリアガ




 行ったことの無い場所なのに。体験したことのない出来事なのに。予感がするのである。
 お前、それをやったらいけない。君たち、そこから先へ行ったらいけない。おばさん、今日はおとなしく家にいた方がいいですよ。


 いわんこっちゃないいわんこっちゃない。



 というわけで、登場人物数人がたまたま同時に味わった、別々の「後悔の記憶」の話。うががががが。いきはよいよい、かえりはこわい、なハプニング大賞決定戦でもよろしい。
 決して出来が悪いわけではない、むしろいいんだけど、イニャりん監督は、なんでこんな話ばっかり寄せ集めて、なにが楽しいんだ。こんな話に情熱のすべてをかけて、頑張って撮ってて何が楽しいんだよう。嫌がらせとしか思えない。
 人間は所詮孤独だ悲惨だどうだなんて話は、世間を生きてる人間なら、多かれ少なかれみんな知ってる。そんなもんを見にくるわけじゃないだろう。せめてこう、群像劇としてそれらの物語が、ひとつになる喜びでもありゃあいいんだけど、親子だ、銃がどうしたとか、そんなんでつながってるつもりか。人間は不幸と絶望でしかつながれない、なんて希望もへったくれもない。ほんとに。オムニバスとか言われた方がまだ納得できる気がする。


 一つ一つのエピソードはいいと思いますよ。モロッコの親子の話とか、夫婦の話とか、不機嫌な女子高生演じるリンコたんの話だって「単体」として見れば悪くない。だけど、4つの物語が渾然一体となって紡ぎ出すこの「絶望感」たるや。映画館出た後、鬱々として軽く死にたくなる。「(リストカット的なもの)一本いっとく?」的な。
 演出力の問題ではなくて、この映画で何を感じさせたいのか、という目論見と実際出来上がったようなものに、少なからぬ差異がある気がする。絶望の果ての希望を描くから、悲惨は描かれる意味があると思う。それをただ、絶望のまま投げ出したように見えることが、この映画のなんとも言えぬ「絶望感」の元な気がする。正直好きにはなれない作品。(★★☆)