虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「叫」

toshi202007-03-02

監督・脚本:黒沢清
公式サイト:http://sakebi.jp/


 時代が変われば都市も変わる。
 書館の近くにあったボロアパート、潰れた菓子問屋、いつのまにか無くなってしまったタバコ屋、火事で半焼した近所の家。
 まあ、それでなくても江戸川は区画整理が多いので、昔と今では違う風景があちこちにある。そんなかつてそこにあり、今の今までまでついぞ思い出さなかった風景をなんとなく思い出してみたくなった。まあ、そういう映画だ。


 海水に頭をつけて殺す事件が発生。そしてそれを追う刑事が居る。しかし、出てくるのは彼自身と事件を結びつける証拠。あれ?おれ、なんかした?いややってないはずだ。思い出せねーもん。やってねえよなあ。俺。
 しかし、やがて同じ手口の同じ事件が頻発するようになる。加害者は「全てなしにしたい」という思いから、近しい人を溺死させていく。やがて捜査を進めるうち彼の前に現れる赤い服の女。そして彼女は彼を追いつめ、思い出せない過去を思い出させようとする。



 幽霊がばあんと出たり、幽霊がハウリングしたりする恐怖描写については、こわいとはあまり思わなかった。思わなかったのだけれど、ただ、演出とは別の次元で怖さがこの映画にはある。
 そもそも、忘れることを許さない、というのは、なんともはや、理不尽ではないか、と。われわれ人間は忘れる生き物なのだと思う。いいことは忘れず、悪いことは忘れることで、人間は前へ進めるもんじゃないか、と思うのだが、それを「あいつ」は許さないのだという。しかも、ただ、「あいつ」を「見た」だけの人間に対して。


 リメンバー、リメンバー。思い出せ。お前はあのとき、あそこにいたじゃないか。
 なぜ、「あいつ」はそれを問いつめる?
 例えば、渋谷の地下鉄でピンクの髪で上から下までピンクの格好した女の子が立ってるとして、確かに目を引くから思わず見ちゃう。すると、後になってお前はあの時、渋谷の地下鉄であたしを見たよなあああ!と問いつめられる、みたいな話じゃないかこれ。
 自らが孤独である恨みをこめて、殺意を伝播して回る幽霊。なんかすげえタチのわるいストーカーみたいだ。


 忘れるな。忘れるな。忘れたら思い出せ。そして愛せ。愛せなければ・・・愛する者を失え。
 記憶するのも、忘れるのも人間の性だ。その一方を許さないこの理不尽によって、失われていく都市と、その中に当たり前のようにある孤独、それゆえに愛を欲するものの歪んだ怨念が横溢した作品になったと思った。(★★★)