虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「マラソン」

toshi202005-09-05



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 「チョウォンの脚は?


  …チョウォンの脚は?」



 「…100万ドルの脚よ。」



 


 自閉症は千人に一人、罹ると言われる障害である。体は健常であるにも関わらず、コミュニケーションする技術が身につかず、ひとつの文章や行動に固執し、繰り返してしまう。ゆえにその行動はエキセントリックに映る。彼らは共有する喜びを知らない。我慢が身につかない。ゆえに一般の社会からは人知れず隔離されてしまう。
 主人公・チョウォン(チョ・スンウ)も、そんな自閉症の一人だ。


 自閉症はその精神構造ゆえに「無垢」であると言われる。だが、裏を返せば「幼い」ということでもある。彼らは5歳児と同じ精神年齢。だからこそ、親は長きに渡って自閉症の子に際限ない情熱を注ぎ込む。
 自閉症の彼に対して、彼の母親(キム・ミスク)はかかりきりになる。母親は全精力を傾けて、息子の世話をするが、それゆえにほかの家族に手が回らない。次男の世話はおざなりになり、父親は家を去る。静かに軋みを立てて、家庭はゆるやかに崩れていく。
 やがて訪れるであろう破綻を食い止めたもの。それは、チョウォンの「走ること」への情熱だった。


 この映画はチョウォンと、マラソンと、彼に関わる人々の物語。


 監督のチョン・ユンチョルは、自閉症やそれに関わる人々を美化することはしない。彼らには彼らの欠点や愚かさがある。
 母親は、息子に対する情熱が深すぎるあまりに、時に周りが見えなくなる。強すぎる愛は、時に周囲を傷つけ、時に対象の意思をも束縛してしまう。彼女はそんなエゴに気づき、葛藤にさいなまれながらも、その愛を抑えることができずにいる。チョウォンは周りに気をとがめる素振りがまるでなく、何を考えているかわからない行動をして気にするそぶりもない。衝動にあまりに正直な彼の行動は、彼に関わる人々を混乱させる。彼の指導をしぶしぶ引き受けたコーチは、マラソン経験者であるという以外は、妻子も愛想をつかすろくでなしだ。
 だが、彼らの愛しさも愚かさも、愛情もエゴも、喜びも悲しみも、そのすべてがチョウォンの、マラソンへの純粋な情熱に続いている。「無垢なる」情熱に引き寄せられた愚かな魂たちは時にぶつかり合い、時に化学反応を起こしながら、「マラソン」によってひと時の救いを得る。母親の手を離れ、チョウォンの純粋な「走ること」への喜びだけが純化されたクライマックスには、すべてを押し流す感動が待っている。


 自閉症という飛び道具に溺れることなく、誠実に物語を紡いだ堂々たる傑作。(★★★★★)