虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

江戸川番外地って何周年だっけ?


 年を追うごとに誕生日は恐怖の日になる。


 過ぎ去りし日々の早さにおののく。未来はせばまり、体力も時間もなく、ただただ、疲労困憊のカラダを横たえながら生き長らえる。出てくるのはぼやきばかり。世知辛さが身に染みる三十路の秋である。



 いつの頃だったか。おれは自分が早死にすると思っていた。少なくとも俺みたいな人間は突然なんらかのカタチで死を迎えるんだろう、という漠然とした確信とそれに対する恐怖とともに、それゆえの前のめり気味に妄想を垂れ流す日々が続いた中で生きてきた。しかしまー、生きている。生きているな、と確認しながら生きている。
 死の瞬間が来たら、多分、確認する必要もない。俺以外の生きている誰かが死を確認し、俺は「死」という現実の檻にいるのだろう、とか、まーそんな感じの思考をするくらいの感じで生きている。


 しかし、今年ほど自分は「生かされてきた」ことを実感する年はない。あまりにも多くの喪失を、日本人は見てしまった。僕らは時折それを心の奥底に隠して見ないことにしようとするけれど、今もって多くの人には現実の中でそれはある。


 ホームページやブログなんてものは十年とかやってると、もはや「やらせていただいている」感が強い。ありがたいことである。ネット社会はなんだかんだで、出入りの激しい世界で、10年以上前にネット上の知り合いだった人はいつの間にかネット活動をやめていたり、なんてことも少なくないし、すごい勢いで更新していた人がある日更新をぱったりやめてしまうことも多々ある。
 ブログはなんだかんだで、摩耗する。インプットとアウトプットの両輪がどちらかのバランスを崩すこともあるし、モチベーションが突然ふっと消えたりもして、ここ最近も続けることの難しさを実感する。しかし、それでも。それでも、続けていて良かったな、と思うこともいろいろあったかな、と思う、江戸川番外地12周年という日である。


 しかしまー、ここ最近はおめでたい話なんかもよく聞くようになったのは、喪失を目の当たりにした日本人の中にある再生への希望の現れなのかもしらんね、などと思いつつ、一年一年なんとか生き延びつつ、再生へと向かう世界のはしっこで、世界の楽しさを目の当たりに出来たらいいなと思う。それを続けられる幸運に感謝しながら、こういう駄文をつれづれに書いていきたい。
 というわけで、もちっと当ブログの文章にお付き合い頂けたら、幸いです。