虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ツレがうつになりまして」

toshi202011-10-15

監督 佐々部清
脚本 青島武
原作 細川貂々


 会社へ向かう道すがら、いきなりボロボロ涙が出始めて止まらなくなり、やがて消えうせてしまいたくなる。そういう状態に陥ったことがある。堤防が決壊するようにがらがらと精神のダムが崩れ落ちて、感情の抑えが利かない。
 どうしたらいいのか、わからない。心の枷が外れる瞬間を、僕は知っている。


 この映画の主人公は、主婦兼漫画家のハルさんと、その旦那で外資系のパソコンソフト会社に勤めるツレである。ツレは夜中に原稿を描いているハルさんを起こさないように、朝食を済ませると自分用のお弁当を作り、会社へと出かけていく。彼の仕事はソフトの相談室センターの電話対応係である。毎日掛かってくる電話の中に毎回ツレを指名して、「あれができない、これができない」と言ってくる老人がいて、なんやかんやとクレームをつけてくる。ついにはツレの応対が悪い、と社長あてに手紙まで出してきた。上司から小言を言われ、席に戻る。しかし真面目で几帳面でありながら、けして温厚な態度を崩さないツレである。
 ツレの「上得意」にいつしか同僚の間でついたあだ名が「できないさん」である。
 しかし、ツレの精神に徐々に限界がきはじめていた。しかし、それを感情に表さないツレに現れた異常は身体的な「痛み」だった。背中が痛い、頭痛がする、味覚がなくなり、ついには食欲が減退する。そして。彼はある日、寝ているハルさんにツレはいう。

 「ボク、なにもできなくなっちゃった。」。彼もまた「できないさん」になっていたのである。後日病院へ行き、典型的なうつ病と診断される。こうして、ふたりの「うつ病」との長い付き合いが始まった。


 嫁さんが宮崎あおいである。にも関わらず、うつになんてなるものなのか・・・。と馬鹿な私は予告編やCMなどをながめながらなんとなく思っていたのであるが、つい忘れてしまうが宮崎あおいは人妻であり、その夫は高岡蒼甫で、たしかブログで「うつ」を患っていたと告白していたことを思い返すと、この映画に宮崎あおいをキャスティングしたのは慧眼かもしれぬ、と思う。
 旦那の「ツレ」を演じるのが堺雅人なのは「篤姫」からのアテ書きなのは想像に難くないのだが、それにしてもこの二人、あらためて見てもきれいなカップルである。しかし、このある種「戯画的」ですら二人が夫婦を演じることでこの映画の方向性が見えてくる。

 さて。
 堺雅人のことを僕は「ペルソナ俳優」と名づけたいと常々思っていた。彼の笑顔は愛嬌があるように見えて、時折張り付いて冷たいもののように映ることがあったりする。心の中で喜んでいるのか、怒っているのか、悲しんでいるのか、落ち込んでいるのか。一見とても読みにくい。彼の中でどれほど感情がめぐっていようと、その笑顔にはそれを読み取らせない「仮面」のような顔なのである。それゆえに、彼が笑顔でいるときの「内面の読みきれなさ」がコメディとしての落差を生んでいる。

 この映画は温厚ながらもしっかりものであるにもかかわらず、元来の生真面目さや細かいところが気になる性格から、精神的なきしみをきっかけに「うつ病」を患った男の話なのであるが、漫画家である嫁さんを語り手としてクッションを置いて、内面的な暗黒に踏み込むことも、あくまでも「ドキュメンタリー」的なタッチでリアルに描くこともせず、フィクションとして「たまたまかたわれがうつ病にかかってしまった男女の話」として描くことに重きを置いている。
 リアルにうつ病を描こうとすればできたはずだ。しかし、それをやってしまうと非常に「生臭さ」が生まれてしまい、人間としての描く前に、「生理的嫌悪」が出てきてしまう可能性がある。なによりそれでは「うつ病患者」を見世物としてしまう可能性が出てくる。作り手に決して「うつ病患者」としての「異形」をさらそうという意図はなく、うつという病気が決して神経症的なものだったり、心が弱い人だけがなる病気ではなく、さまざまな人が罹る可能性がある病気とし、その「誰にでもかかりうる厄介な病」をきっかけとした「夫婦関係の変容とふたりの成長」を軸に描いていこうとするのである

 だから、この映画の夫婦は原作のコミックエッセイから抜き出たような「戯画的なふたり」でなくてはならない。そしてそんな二人が、うつという病気と少しずつ歩み寄っていく姿を丹念に描くことで、この映画は「うつは厄介な病気だが、決して歩み寄れない病気ではない」ということをきちんと描いていて非常に好感がもてる。
 この映画を「社会的な問題を描くにはきれいすぎる」とする向きもあるかもしれないが、観客が共感できるレンジを広く取る努力をすることは重要なことで、そしてその意図は十二分に有効になっているように感じた。


 うつは人生の「雨季」と言えなくもないけれど、力を入れすぎることなく向きあうことができる病であり、決してこの映画は、一組の夫婦の人生を通して、力強く主張しているのである。心の風邪を恐れることはないと言ってもらえることで、見た後少し心が軽くなる映画である。(★★★☆)