虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「キングダム/見えざる敵」

toshi202007-10-18

原題:The Kingdom
監督:ピーター・バーグ
脚本:マシュー・マイケル・カーナハン



 うららかな日差し。バーベキュー。ソフトボール。そんな昼下がりのサウジアラビア外国人居住区の、のどかで平和な休日。

 突如起こる銃声。

 混沌は突然訪れる。女子供まで容赦なく殺していく男達。彼らは現地警察の制服をきており、それを利用して自爆するなど、卑劣な殺戮を繰り返す。やがて、警察がやってきて殺戮は一段落したかのように見えた。だが、それは更なる犠牲者を出す罠だった。
 轟音。爆発が多くの警官たちを巻き込んでいった。その犠牲者の中に、FBI捜査官2名がいた。それがこの物語の、始まりだった。


 ハリウッド映画というのは基本的には「アメリカ映画」である。



 スタイルがハリウッド的であるということを揶揄するのは、この映画の批判としては的外れだと思う。
 ハリウッド、とあえて総称するのはそれが、その世界レベルの影響力ゆえだろう。けれど、この映画があえて守ったのはこの映画が「アメリカ映画」という矜持であり、そしてその」娯楽映画の枠内で、どこまで現在の政治状況、および他国への介入という問題を誠実に描けるか、ということだと思う。
 娯楽である以上、アメリカ視点の、そしてアメリカ人から見たサウジアラビアという国の存在を示すオープニング。あえて言えば、前提となる「彼の国=サウジ」と「我が国=アメリカ」の「関係」を示したのであり、それを説明してから話に入るこの映画は、実はものすごく誠実である。つまり、この映画は「現在の状況」から普遍的な「あるべき政治的介入のあり方」をも示している。
 テロはあくまでも「戦争」ではない。政治的、宗教的メッセージを背景にした大量殺人である、とこの映画は喝破する。テロとの戦いとは、軍隊によって無辜の民を巻き添えにすることではない。他国にきちんと敬意を払い、地道な捜査こそが、最重要だ、ということだ。


 基本的に国内捜査が原則の組織であるFBIに所属する彼らが海外の事件へと介入するには、コネと圧力しかない。サウジの駐米高官の醜聞をネタに脅迫してまで手に入れた期日は5日間の出向。一人のリーダーと3人の専門家からなるチームが編成され、現地へ飛ぶ。治外法権もない地で、彼らは現地の警察と連携しながら、真犯人を捕まえるべく動き出す。だが、武器の携行は許可されずに取り上げられ、宿泊施設は用意されず、男女いっしょくたに体育館での寝泊まりを強要される。さらに1日5回の礼拝、国家のメンツから捜査官達にまともな捜査をさせない、現地警察の非協力的な態度と5日というタイムリミットが、4人をいらだたせる。
 だが、彼らはしぶとく彼らの目を盗みながら証拠を集めていき、やがて王子に謁見した彼らは、王子を説得して彼らの捜査に理解を得ることで、ようやく本格的な捜査に乗り出す。彼らは他国の風習の違いによる困難をひとつひとつ解決しながら、犯人の手がかりを追っていく。


 例えそこがテロリストの出身国であろうとも、そこには市井の人間が居て、彼らのルールで生活している。この映画の主人公であるフルーリーは、それに対して踏み越えない範囲で「見えない敵」を追いつめていく。


 それでも、この映画は最後に一線を踏み越えることになる。そこにあるきっかけの言葉は、まさに人間にとって麻薬のような「言葉」。
 「復讐」。
 その言葉は、時に人を動かす原動力となる。しかし。それゆえに突き動かされる方向を誤れば、世界の暴力の連鎖は終わらない。アメリカの「正義」と、テロリストの「大義」。見えざる敵の正体は互いの「心の中」にこそある。
 それを知りながら、「テロとの戦い」は継続される。その「我々を脅かす敵」の正体を、この映画は、娯楽映画というジャンルを媒介にしながらも、その苦い結末の中で、見事喝破した気がするのである。(★★★★)