虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」

toshi202007-07-07

脚本・監督:吉田大八 原作:本谷有希子*1


 あたしの目の前でお母さんが死んだ。お父さんも死んだ。


 東京から姉が帰ってきた。


 姉は4年前、女優になると宣言して、さんざん揉めてから金を貯めて、東京へ出て行った。
 お父さんとお母さんの死を悼みに、姉が帰ってきたのではない。お父さんとお母さんが死んで、故郷から仕送りが止まると知って帰ってきたのだ。家長となってしまった兄、邪険にされても底抜けに明るい兄嫁、そして漫画が趣味の高校生である「わたし」。父の借金もあるこの家では、わたしが毎日バイトに通っても、これ以上姉を支える経済的余裕はなかった。


 姉は東京に借金もあるようで、お金もないから田舎から出られない。
 わたしは困っている。苦しくてたまらない。あの、単純で、頭悪いくせに傲慢ちきで、被害妄想で、自分を知らない、勘違いで、意地の悪い姉。その姉と一つ屋根の下で暮らさなくてはならないのだから。
 帰ってきたその日から、姉の「東京」への七転八倒と、「わたし」への八つ当たりが始まった。
 



 傑作。



 面白いもの、というものはその辺に転がっているものではない。自分で見つけるものだ。


 携帯もつながらない。深夜テレビもない。ネットもない。娯楽らしい娯楽がない上に、田舎のコミュニティーとは、ある一件以来、距離を置かれている。そして、家族は姉の帰還できしんでいく。
 サトエリこと佐藤江梨子(ハマリ役!)演じる”自称女優”の「姉」は田舎から脱出しようと「外の世界」と連絡を取ろうと様々なことを試みる。彼女には田舎を出なければいけない理由がある。彼女は、自分の故郷が嫌いだった。彼女の高いプライドは、田舎の純朴な空気が許せない。そしてさらに追い打ちをかけたのが、「妹の漫画」事件だった。それ以来、彼女の田舎への忌避感は決定的となった。
 そして彼女は、目立つ赤い封筒、赤い便せんでとある映画監督にファンレターを出し、と「文通」を始めることに成功する。彼女の展望はゆっくりと開き始めたかに見えた。しかし・・・。


 この映画は、ホラー風味のコメディだが、それにはきちんと意味がある。彼女が東京に出る前から家は、ゆがんでいた。
 「姉」は誰にでも、こう言う。「あたしは他の人とは違う」誰でも人とは違う特別な人間だと思いたがるものだし、そのこと自体は悪いことではない。しかし、その気持ちがあまりに強すぎると、それは「毒」となって周りに伝播していく。
 姉の狂気にも似た執着。しかし、絶望的に自分に鈍感で、あきらめないその、ダメな意味での負けん気。彼女は、夢を見続け、求め続け、あがき続ける。その「最大の被害者」は兄と、妹の「わたし」である。しかし、兄にも「わたし」にも姉の愚かさが見えている。にもかかわらず、姉の横暴に従い続ける。なぜ?その理由が、ラストへとつながっている。



 人間は、面白い。この映画が教えてくれるのは、そんな単純なことである。あがき続ける人間の、醜さ、それゆえのいとおしさ。終盤、「姉」が「わたし」に突きつけられる「真実」は、絶望のように見える。だが、彼女はやがて無意識にたどりつく。妹がつきつけたものが、彼女の求め続けてきたものだということに。
 バスの中で寝入る「姉」の顔が安らぎに満ちている理由がわかるだろうか。その理由が分かるならば、この映画はきっと、見た人にとって特別になる。(★★★★★)

*1:調べたら「カレカノ」の沢田亜弥役の人!そっかそっかー。この腹黒い作風はいろんな意味で納得したわ。