虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「監督・ばんざい」

toshi202007-07-02

監督・脚本:北野武


 北野武のこの映画についてのインタビューなんかを斜め読みしていると、「オイラは映画について愛がない」という趣旨の発言をよく目にした。要は、突き詰めて物事に入り込むんではなくて、一旦別方向に逃げるから、固執してないだよ、という趣旨。愛してもいない。好きでもない。むしろ憎い。そう言っている。映画をおちょくる側にいたいのだそうだ。・・・・まあ、映画を早送りで見る人だからねえ・・・。


 それでも映画を撮ってしまうのが、監督「北野武」の業なのだろうと思う。


 「嫌で起請を書くときは、熊野でカラスが3羽死ぬ」ってのは、落語の「三枚起請」にも出てくる文言だけれども、その流れでいけばですよ、「嫌で映画を撮るときは、キタノでヤクザがさんざ死ぬ」というのが、まあ、北野武のお約束みたいになっちゃって、それが嫌だってんで、本作ではヤクザ映画以外の映画を撮りたい!、とじたばたする監督が描かれる。


 北野武は、よく主人公を殺す。自己愛と自己嫌悪の狭間で、どうしようもなくなっちゃって、死なせたくなる。本人も分かっていて、本作では「おいらも分かってるんだよ」という体で、「TAKESHIS’」から続く自虐な作風を一層推し進め、ナレーションで自らの製作過程をひたすら監督である自分のダメさを指弾していく、という、たけしの自分SMの極地(笑)を体感できる。
 どうせ殺すならやったことないジャンルを撮っては失敗させて、ヤクザじゃなくてキタノ監督自身を殺してしまおう、ってんで、オフィス北野のロゴが入ったブルー(キタノブルー?)のTシャツ着たたけちゃん人形が、映画1本撮るたびに死んでいく。撮りたくないジャンル映画を試しては、次々頓挫していき、最後は意味不明のSFコメディをむりくりに暴走させていく。これがね、ほんと、つまんねーんだ。びっくりする。


 撮りたくもない映画、しかも憎いジャンル映画のパロディなんてのを撮るなんてのはそもそも無謀で、好きでもない人間がパロディをやって面白くなるわけがないのでね。本人もそれ半ばわかってて、途中でナレーションで突っ込んで、恥ずかしそうに作品を引っ込めちゃう。それでも撮り続ける。キタノ監督。あなたは憎い映画を、つまんない映画をなんでそこまで作ろうとするのか。


 「三枚起請」では、偽の起請を突きつけた男が言う「嫌で起請を書くときは熊野でカラスが三羽死ぬってんだ」という台詞のあとにおいらんが、「じゃああたしは、いやな起請をいっぱい書いて三千世界のカラスを殺してやりたい」と受けて、その後にサゲとなる。
 いやで映画を撮ってるキタノ監督はどうなのだろう。三千世界のキタノを殺してどうすんだ。


 隕石が堕ちてみんな死んじゃった野原で、それでもこういう気がする。「監督だもの。映画が撮りたい。」


 憎くても撮る。映画監督という螺旋は、ほんとに死ぬまで終わらないのかもしれない。迷走のはてに出る「監督・ばんざい」の言葉は、壊れるまでやってやる、という意思表示だと思った。
 つまらない映画ではあったが、嫌いになれない映画である。(★★)