虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「俺は、君のためにこそ死ににいく」

toshi202007-05-23

監督:新城卓 脚本:石原慎太郎


 面白い。


 と言っても、純粋な映画の面白さとは異なる意味ではあるが、興味深い映画となった気がする。


 物語は鳥濱トメさんという一人の女性の回顧録として構成されている。それを、石原慎太郎自らが筆をとり脚本化、その脚本を新城卓氏が演出した。
 この映画はいわば、食堂の女主人であり、若い特攻隊員を商売ぬきで世話した島濱トメさんという女性の、若者たちへの惜別の念から始まっている。彼女が抱き寄せるのは若者たちの一人一人だ。彼女の心は、個人、個人への若者たちへの「愛しさ」だ。彼女の愛は、人種も思想も超えて、時代から生まれた怯懦も、蛮勇も、狂気も、彼らを丸ごと肯定する。彼女は国には媚びない。だが。死にゆくものを決して否定しない。
 石原慎太郎は島濱トメさんを特攻隊員の「母」と位置づけ、「家族」という帰属から旅立つ若者たち、という図式に落とす。国の理不尽な死の要求であろうとも、彼らは家族のために、そして母と慕うトメのためと信じ、飛び立っていく。「靖国神社で待ってるぞ」と言いながら青年たちは死に赴き、少女たちは血染めの血判を布に書き、青年たちを送り出す。
 かけがえのないものの為に死に赴くことこそ、美しい。理由はどうあれ、彼らの死は決して犬死にではない。石原脚本は結論づける。


 しかし、その石原脚本を映画化する過程で、新城監督はあえてその話に乗りながらも、そこにロングショットを多用することで、その「美しき場面」の客観的に映し出すことで、そんな理不尽な時代に生きざるを得なかった若者たちの「哀しき狂気」をも際だたせた気がする。そこにある「虚しさ」は、島濱トメさんが持っていた「惜別」とむしろ重なるものでもあるだろう。
 俺はそこに、映画の可能性を見た。多くの人の手を経るからこそ、映画は面白い。劇中で、島濱トメさんは桜の下に若者たちの晴れやかな笑顔の亡霊たちと再会する。しかし、そこに俺は、惨い時代に若者たちの死を見送らざるを得なかった女性の哀しみをも見る。
 特攻は災害ではない。死ぬべきではなかった者たちが、若者たちの死地を勝手に決めて、若者は「自分が死ぬべきだ」と「思いこんで」死んでいった。そんな時代が美しいわけがない。石原が「美しさ」を見た理不尽な時代に、狂気と虚しさを映した、新城監督。あなたの気骨のためにこそ、支持したい。(★★+★)