虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「墨攻」

toshi202007-02-03

監督・脚本: ジェイコブ・チャン
http://www.bokkou.jp/


 その男がそこへやってきたのは、自らの意志であった。


 この話の舞台は、紀元前である。三国志よりも古く、秦の始皇帝誕生以前、春秋戦国時代の中国が舞台である。この時代に生まれた諸子百家の中でもこの時代の人気を二分していたのが、儒家墨家である。儒教はやがて弾圧を受けながらも、やがて国教として広まったのに対し、墨家は春秋戦国の乱世をまとめ上げた始皇帝の秦の時代に入り、衰亡していくこととなる。
 墨家実用主義であり、秩序の安定や労働・節約を通じて人民の救済と国家経済の強化をめざすことを思想の基本に置く。そして何よりのオリジナリティは、専制君主の王とはまた別の、「天帝」を尊び、「兼愛」、つまり兼(ひろく)愛せという平等思想、そして「非攻」つまり大国が小国を侵略するのは天帝が許さぬ、という「専守防衛」思想を、この時代において既に確立していたことだ。しかし、このあまりに早すぎる考えは、専制君主の時代においては進歩的すぎた、と言わざるを得ない。


 だが、そんな時代の中で、その思想を実践する者たち「墨家集団」が存在した。
 その男、革離(アンディ・ラウ)もその一員であった。
 巷淹中(アン・ソンギ)率いる趙の10万の大軍が住民わずか4千人の梁城に攻め入ろうとしていた。梁王(ワン・チーウェン)は墨家に援軍を頼んでいたが時間切れで、降伏しようとした時に革離がたった1人で城に到着する。彼は、たった一本の弓矢で趙の先遣隊を撤退させ、王に徹底抗戦を説き、軍の指揮権を掌握すると、軍律を整え、人心を掌握し、様々な対抗策を巡らしていく。


 というわけで、前段が長くなりましたが、たった一人で、圧倒的不利をはねかえす!という燃えるシチュエーションのエンターテイメントである。川井憲次氏の音楽も高らかに、大軍を翻弄するストイックなプロフェッショナルの活躍を堪能できる。
 だが、話が進むにしたがって趣を異にしていく。墨家が如何にして滅びたか、という歴史そのものをなぞるかのように、革離に厳しい試練が待ち受ける。大軍を退ける事で増え続ける死体の山、そして、味方であるはずの王の「裏切り」。そして、悲劇が始まる。


 ストイックで無私無欲、見返りを求めない、という墨家の掟に乗っ取り、美女からのお誘いもキッチリ断る、まさに「退かぬ、媚びぬ、省みぬ」を地でいく孤高の男・革離であるが、高すぎる理想を持ち、独断で墨家すら見捨てたこの地へやってきた彼は、墨家の理想と現実の狭間で苦悩する。
 さらに、彼の能力と人望は、王の嫉妬と疑心暗鬼を生んでいく。その事に、彼が気付けなかったこと、そして、退いていくかと思った趙軍の巷淹中が、千人超の軍勢とともに逆襲の機会を狙っていた。やがて悲劇は、更なる悲劇を生んでいく。
 どんなことにも「最善」はあっても「完璧」はない。彼はどこか諦めたように苦笑する。ましてや、墨家の天才である自分でさえ。がしかし、それでも彼は、現実にあきらめずに食らいついていく。救えるかもしれない命、そして、教えよりも大事なもののために、彼は死地へと再び帰っていく。


 勝っても地獄。負けても地獄。侵略が生む哀しみと虚無が、現代へと通じる圧倒的なメッセージとして作品を貫く。今、見るべき秀作と思う。(★★★★)