虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「トランスアメリカ」

「アタシ、あなたの父よ」ノオオオオ

原題:TransAmerica
監督・脚本:ダンカン・タッカー


 「私がおまえの父親だ」


 とダースベーダーは、「スターウォーズ/帝国の逆襲」のクライマックスで、主人公・ルーク・スカイウォーカーに言った。ふと思う。あの時、アナキン・スカイウォーカーとしての彼は、どういう気持ちでそのことを、大人に育った息子に伝えたのだろう。人ならざる仮面を被った男は、どのような気持ちでその事実を伝えるのだろう。知らなくていいことである。知ったら傷つけることである。知らせても父としての尊敬は勝ち得ない。敵である。悪である。倒すべき「怪物」。それが自分。
 それを知っていて尚、その事実を伝える。それは、とても苦しいことなのではないだろうか。


 そんなことを考えたのは、この映画を見たからであった。



 この映画のロサンゼルスに住んでいる「ヒロイン」ブリー(フェリシティ・ハフマン)は性転換手術を控えた男性。元の名を「スタンリー」という。性同一性障害で苦しんできた彼は、身も心もオンナになることで、男性としての人生から解放され、新たな人生を手に入れるはずだった。精神科の先生から手術の許可をとり、予約も取れた。あとは手術を待つばかり。さらば、スタンリーとしての人生。ようこそ、ブリーとしての未来。


 ところがその「刺客」は思わぬところからやってきた。それは「スタンリー」の、当人のあずかり知らぬ17年前の落とし胤が逮捕され、警察が父親である「スタンリー」に電話をかけてきたのだった。「スタンリー」の人生が末期のあがきを見せるかのように、「ブリー」の行く手をさえぎる。「ブリー」は、その息子、トビー(ケヴィン・ゼガーズ)に会いにニューヨークへ行く。「スタンリー」としてではなく、身も知らぬ「教会」から派遣されてきた女性「ブリー」として。
 こうして父親であることを隠した「彼女」と、本当の父親を求める「息子」の奇妙なふたりが出会う。彼らはひょんなことから、大陸横断の旅へと出ることになる。それは、「スタンリー」としての人生の落とし物を拾う「最後」の旅でもあった。



 このロードムービーの面白いところは、この「二人の関係」が千変万化することだ。赤の他人。母子。歳の離れた友達。男と男。男と女。そして、父と子。味の変わる変わり玉のように、ころころとその「関係の性質」は変わっていく。その面白さ。父と言い出せない男と、父がいないことで不幸をしょいこんできた息子というシチュエーションから、よくもまあこれほどのものを引き出すな、と思えるほど、この二人の関係を色彩豊かに描き出す。
 スタンリーとしての人生が生み出したこの奇妙な関係にとまどいつつも、友人として親しくなっていくふたり。だが、あくまでも彼らは「父と子」。その現実は、ある出来事で露わとなり、ふたりを引き裂くことになる。


 とにかく、「フクザツな存在」であるところの「彼」を、見事に演じきったフェリシティ・ハフマン(♀)の演技が凄すぎる。だって、ちゃんと「オンナになったオトコ」に見えてくるんだもんなー。恐るべきはそんな演技を引き出した、ダンカン・タッカーの手腕。しかもこれが長編デビューだってんだから恐れ入る。
 自らの人生を振り返り、自らの罪と向き合うための旅。そして、それは決して不幸なことではない。「ジェンダー」を越えていく(トランス)ための通過儀礼、そしてなにより、新たなる友情を見つけるための旅。「スタンリー」としての人生を終えてもなお、彼の遺した人生は続く。そのことが大事なのだとこの映画は説く。


 「父と子」は恩讐も、性差も超えて理解し合えるか。その可能性と希望を示した秀作。(★★★★)