虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「カーズ」

toshi202006-07-01

原題:Cars
監督:ジョン・ラセター
公式サイト:http://www.disney.co.jp/movies/cars/



 車だけの世界。人間はいない。


 長くタイトルだけの発表でその全貌が知れなかったジョン・ラセター新作「Cars」の世界観が知れたとき、俺はピクサーの作品として期待よりもでっかい不安を抱えた。はっきり言って、こんな企画どうしようもないだろと。おもちゃを擬人化しながら、人間とおもちゃの関係性に深く踏み込んだ奇跡的傑作「トイ・ストーリー」シリーズのような、物語の深化する姿がどうしても想像つかなかった。


 今年。その蓋が開く。でおそるおそる見に行ったわけであるけれども。ほんっとうに車しかいない世界をリアルに描くしょっぱなのサーキットの絵に度肝抜かれる。


 なななな・・・なんじゃあこりゃあ。車のレースを車が見に来てるうううううう!


 予想はしてたが予想以上に奇っ怪な光景がそこにあった。客もアナウンサーもピットクルーも全部乗り物。闘牛を牛の集団が見に来ているような、闘犬のトレーナーや観客も土佐犬みたいな、悪夢のような光景。


 なのに・・・楽しい。


 奇っ怪で漫画的で、だけど生き生きと動き回る車たちの動きが面白いのなんの。トイレ待ちしている車とか一般生活の動作はかなりシュールで、車たちの造形は限りなく漫画的ながらそれぞれの車がそれぞれに個性的に躍動し、走りの挙動は車そのもの、という落としどころもお見事。
 なんつー無茶。なんつー無謀。。「モンスターズ・インク」「ファインディング・ニモ」「ミスター・インクレディブル」などで培ったCGと映画的な奥行きとを生み出す技術を総動員することによって、この明らかに無茶な世界を、リアルに描いていく。本当にそんな世界の話なんだよ、どうだ文句あんめえ!というジョン・ラセターの勝ち誇った顔が見えるような驚くべき力業である


 で、肝心の物語であるが、実に王道。傲慢な「エリート」と心根の優しい人々の交流の中で彼を変えていく、というキャプラ的物語を車でやっちゃう。
 この映画の導入は「千と千尋」のオマージュだと思った。いや、決してそのものではないが。


 気鋭の天才新人レースカー・ライトニング・マックイーンは、チャンピオンを決めるシーズン最後のレースに向かう途中、ハイウェイ上でトレーラーからはじき出され、トレーラーを追ううちに、さびれた町に迷い込む。
 そこは「ルート66」沿いの町として栄えたラジエータースプリングス。だがハイウェイ建設とともにそこは「忘れ去られた町」となった。彼は町の道路を破壊した罪でとっつかまり「裁判」にかけられ、道路補修を、命じる判決が言い渡される。


 レースに戻りたくて傲慢に振る舞うマックイーンに、町の長老的存在ドック・ハドソンは、彼に厳しく接する。田舎道のレースで彼に一泡喰わされたマックイーンは、怒りを「ガソリン」にして熱心に道路補修を始め、やがて彼は労働の結果としてみんなの喜ぶ姿に触れることになる*1
 マックイーンは、おんぼろレッカーのメーターや、町にそぐわないほどの高級車・サリーらとの友情を深め、この街に居心地の良さすら感じるようになるが、やがて、ドック・ハドソンの秘密を知ったことがきっかけとなって、この町を去ることになる。


 旅をすることは「通過」すること。出発地と目的地の間には何もない。「0」か「1」か。いつの間にか現代の旅は、そんなものになってしまった。
 そんなものは旅ではない。旅は、出会いなのだ、とこの映画は主張する。速く走ることしか知らなかったマックイーンは、たまたま迷い込んだ町でゆっくり走る楽しさを知っていく。速く走るだけが人生ではないと、彼はこの街での出会いで知るのである。


 運転(DRIVE)を生きること(LIVE)の暗喩として、観客に提出するあたりは、さすがジョン・ラセター、というべきか。ラストのレースシーンが実に「生きる」歓びにあふれている。走り去る潔さより、立ち止まる勇気。それが人生を豊かにすることもある。


 あまりに単純明快かつ予定調和にまとめすぎて、「トイ・ストーリー」シリーズのような奇跡的体験こそないものの、「車」を通してじっくりと人生を語りきる姿勢に、語り手としてのジョン・ラセターの成熟をも感じさせる秀作に仕上がっている。まずはお見事、である。(★★★★)

*1:労働が生きる喜びを呼び覚ます、という展開が宮崎駿からの継承だろうし、ワーカーホリックっぽいラセター監督が同調できるところなのだろう。