虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ウルトラヴァイオレット」

世界一コドモが似合わないオンナ。

原題:Ultraviolet
監督・脚本:カート・ウィマー


 組織を揺るがす「秘密」を握った少年。その少年に母性をくすぐられ、一人、組織を裏切って少年を守る女戦士の物語。で、どこで読んだのか忘れたのだが、本作は・・・


 「グロリア」のSF風リメイク、らしいのである。


 いや、ネットでたまたま読んだ文章にあったので、本当にそうなんだか知らないのだが、見て納得。「ああ、なるほどなー」と思った。SFという世界観でありながら、この映画は普遍的な「疑似親子」の交情を描いた物語なのだ。
 でまあ、「リベリオン」と監督同じなんで、ウィルスの恐怖によって支配された管理社会という世界観や、みなさん大好き「ガン=カタ」やら、重力をコントロールできる装置やらの装備を身につけて暴れ回るヴァイオレットは、まさに強さの上では申し分ない。だが、彼女からは「グロリア」のようなタフさをまるで感じないのは、彼女の造形のせいなのではないのだろうか。


 そもそも、ミラ・ジョヴォヴィッチの魅力は「サイボーグ」のような「非人間的」な肢体にある。あのような人間離れした容姿、肢体を保ちながら、どんな戦闘シーンにも対応できる身体能力、というバランスこそ、数々のオタク監督たちからオファーが続く要因なのではなかろうか。


 ところが、ヒロイン・ヴァイオレットは、ウイルスに感染されたのをきっかけに中絶されたことで、ファージと呼ばれる新人類たちの一員として、テロを続ける戦士として登場し、一人の少年によって運命の歯車が狂っていく女性という設定なのだが、どうにもそれがうわべだけのように見えるのだ。
 彼女には、ジーナ・ローランズが持っていた母性から発する凶暴な執着が微塵も感じられない。ミラ・ジョヴォヴィッチは序盤の、サイボーグチックな女戦士の戦闘シーンでこそ魅力的な素材であるが、子供のために命を張る、という女にはどうしても見えない。
 あまりにも「非人間的」なヒロインを強調した演出の弊害が如実に表れてしまっている。その演出は、カート・ウィマー監督の演出生理によるものだと思うのだが、よりウェットに描くべき題材に、このドライな演出はないだろう、と思った。第一、子供、かわいくねえし。いや、美醜の問題ではなくて、どんな子供でも子供らしい愛らしさを撮ろうと思えば撮れるはずなのに、ウィマー監督はそういう演出を一切いれないのだ。いくら母性が強かろうと、可愛くない子供を助ける女がどこにいるかッ!


 SFとしてのオチもかなりアレであるし、つくづくプロットに見合った演出とキャスティングは必要だよな、と思わされた。「リベリオン」がなぜ、傑作だったのか。少なくとも「ガン=カタ」だけが理由ではない、と痛感させられる作品となってしまった。(★★)