「バルトの楽園(がくえん)」
監督:出目昌伸
うーむ。私は松平健を侮っていたかも知れぬ。
・・・いや、演技力についての話ではない。彼の演技は「暴れん坊将軍」の頃からなんも変わらん。
だが、その揺るぎなさが、逆に力になることもある。彼はその揺るぎなさゆえに、スターなのであり、彼の新宿コマで長年培ってきたマツケンワールドというマトリックスが、「マツケンサンバ」として日本中に浸食してしまったのだ。
その力は、ドイツが誇る名優・ブルーノ・ガンツを前にしてなお、マツケンワールドの一員にしてしまうほどなのだ。恐るべきはマツケンの力、うーむ、これほどのものか、と思ったりしたも。
というわけで、映画は第一次世界大戦戦時下にあって、敵国の捕虜であっても決して敬意を忘れることなく、彼らを迎え入れた人々の交流を描いた、力作である。
青島にたてこもり、数万の敵に勇敢にも戦ったドイツ兵約5000人を捕虜とした日本は、全国計12カ所に分散して管理した。だが、当初の管理体制は劣悪を究めた。
やがて、2年後に6カ所に分散された捕虜たちが板東俘虜収容所1カ所に統合されることとなる。そこの所長となったのが松江豊寿。彼は徳島俘虜収容所の所長を経て、板東俘虜収容所の所長となった男だった。
彼は俘虜たちをを「勇士」として扱い、敬意ある対応を徹底。食事・施設の衛生管理はもとより、文化・宗教にも理解を示して自由を認め、俘虜と住民の交流も活発に行っていく。ドイツの俘虜たちは松江に敬意を持ち始める。当然ながら軍や、部下の感情との対立もあったが、彼の信念はゆるがなかった。
その信念の出所は彼の出自にあった・・・。
という、「教科書が教えない日本のいい話」をベテラン・出目昌伸監督が良くも悪くも丁寧に描き上げた作品。ドイツ人俳優の演出も危惧していたほどには悪くない。ドイツと日本という遠く離れた出自の人々が、敬意をもって出会い、垣根を越えて交流していく幸せな世界がそこにあった。
作り手は、その「世界」を管理する役目をマツケンに振る。すると「世界」は、一気にマツケンマトリックスと化す。「暴れん坊将軍」と変わらぬ、マツケンを頂点とし、マツケンの慈愛が注がれた世界である。
「なんでそこでニホンゴやねん」「なんでそこでドイツ語やねん」という2つの言語の使いわける場面での混乱や、だらだらとながったらしい演出もありはするが、題材自体が魅力的でかつキャストもかなり豪華、多くの登場人物の物語の、最低限の交通整理もできているので、大きなストレスもなく楽しむことが出来る。
なによりも、クライマックスの日本で初めて演奏された「第九」のシーンはさすがで、劇場で聞く価値のある素晴らしい音。
だが、このクライマックスについてはすこし不満がある。このクライマックスでそれぞれの登場人物のドラマも終息を迎えていくのだが、演奏している最中にあっちこっち向いたり、登場人物があっちこっち移動したり、物思いにふけって会場から抜け出したりするのは、演奏してる相手に失礼ではないのか?となんかすげえ気になった。そんなの後日の話を演奏のシーンの合間に挟めば済む話でしょうが。
・・・とまあ細かい不満もありはするが、人は悲しみや恩讐を超えて理解できる、という希望を高らかに歌い上げる気持ちよさは得難いものではないかとも思った。マツケンワールドの中に生まれた、慈愛と敬意に満ちた、日本とドイツの幸せな時代がここにある。(★★★)
追記:松江が幼少のころを回想するシーンに登場するインパクトある父親を演じている役者が思い出せず、あとで調べたら三船史郎だった。親父ゆずりのインパクトヅラを有効活用しており、ちょっと感心した。