虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「嫌われ松子の一生」

toshi202006-05-27

監督・脚本:中島哲也
公式サイト:http://kiraware.goo.ne.jp/
 

 新聞にして数行。テレビニュースなら20秒。彼女の死は、その程度のものであった。



 川尻松子。昭和22年生まれ。享年53歳。河川敷で死体となって発見されたのだった。


 彼女は教師だった。


 彼女のそもそもの教師になった理由は父親に振り向いて欲しかったからだった。父の望む学校に行き、父が望む生き方をし、父が望んだ職業に就いた。彼女は基本的に器用だった。だから、彼女はある程度のことはそつなくこなせてしまう。だから、彼女は先生としては好かれていた。
 だが、父親は病気がちの妹を溺愛し、自分になかなか振り向いてもらえないことが、彼女の精神形成を歪ませていた。彼女はすべてをそつなくこなそうとしすぎた。修学旅行で起こった旅館での盗難事件を穏便に済まそうとするあまり、同僚の財布から金を抜き取ってしまい、そして自分が盗んだことにして金を被害者に返還した。そのせいで教頭からセクハラされた挙げ句、学校ではそれが問題となり、真犯人と目された生徒から自供を引き出そうとするも、脅迫されたと逆に告発された彼女は学校をクビになる。
 彼女の目の前は真っ暗になった。もう・・・父からの愛は勝ち取れない。


 そう思いこんだ彼女は、家を飛び出し、自転車に乗って爆走する。人生という道を逆走するかのように。松子、23歳の時である。


 彼女のその後は、失われた父親の愛を埋めようとするかのように、愛されることに固執する。愛されるために、愛し尽くすのだ。彼女はそのためなら、いくらでも愚かになれた。そして悩まなかった。逡巡すらしない。
 作家の卵のオトコのために実家の弟に金を無心して勘当され、そのオトコが死ぬとその友人の愛人となり、捨てられるとヤケとなってソープ嬢として働き、栄枯盛衰を経験、ヒモに貢いで捨てられそうになるとそいつを殺し、自殺しようとして果たせず理容店で同棲、だが、逮捕され、刑務所に収監される。そこで理容師の免許を取って同棲先に戻るも、そのオトコは、すでに家庭を持っていたのだった。
 ここまでが、彼女の34歳までの人生。だが、彼女は、彼女自身の運命を決める男と「再会」する。


 その男は、ヤクザだった。


 なんと愚かな哀しい女だろうか。テレビの三文バラエティを数珠繋ぎにしたような、「ザ・波瀾万丈」。こういう女性が嫌いな人は多いと思う。彼女の悲惨な境遇は彼女自身の選択ゆえであるから始末に負えない。自業自得。しょーがないよねー。バッカじゃねーの。死んでトーゼン。
 しかし・・・しかし。そんな、吹けば飛ぶような彼女の人生を中島監督は徹底的に肯定する。その愚かさを含めた全てを。彼女の行動原理は明快だ。それは人間なら誰しも持つ感情によって突き動かされているからだ。


 「愛されたい。」ただそれだけのために人生の坂道を転がり落ちていく。


 彼女はその感情に人一倍正直に生きた。我々が逡巡を巡らしてしまうようなことにも、彼女は反射的に飛びつき、恐るべき執念でしがみつく。だが、その力が強ければ強いほど、相手はその圧力に耐えきれずに逃げていくことを彼女は知らない。愚かだ。だが、その愚かさは、我々の中にないと言えるか?
 そんな自分の衝動に正直な彼女の人生を、下りっぱなしのジェットコースターのようなスピード感で、アニメーション、原色バリバリの意匠と、歌と踊りによるミュージカル的味付けと、中島監督は己の天才を持って徹底的に飾り倒していく。それは、あまりにも美しく、そして禍々しい輝きを帯びる。



  終盤。彼女は転がり落ちていく自らの堕落に足止めをかけようとする意志を見つける。彼女は星空を見つめる。彼女のいる場所はどん底なのだ。下ばかりみていた彼女が、空を仰ぐ。


 その時、彼女は、「教師・松子」に戻っていた。


 そして、そのことが、彼女を死においやることになる。



 その死の間際。彼女は何を見たのだろう。
 その幻の主役は中谷美紀で、狂言回しは瑛太演じるおいである。だが、そもそも彼女は中谷美紀のように美しいのか?ミュージシャン志望のイケメンのおいがこんな女性のことについて考えてくれるだろうか。かつての友達が自分を思い出して泣いてくれるだろうか。かつて愛した人が、自分を探してくれているだろうか。
 この映画自体が、実は壮大な彼女の夢であった可能性もこの映画は残す。
 ボロボロになりながらも、その強い思いで坂道を駆け下りていった彼女の愚かさを肯定する力強いビジュアルに、そしてその愛を求めて、傷つき傷つける彼女の愚かさをすべて許すラストに、俺は滂沱の涙を流した。


 彼女の人生は、三面記事の10行程度の生き様だったかもしれない。だけど、それでも人生は肯定されていいのだ。これほどの才能と情熱を彼女への祝祭に注ぎ込んでなお足るのだと。その暖かさに、俺の中でなにかが溶け出していく気がした。中島哲也という天才と同じ時代にいることに感謝する。傑作。(★★★★★)