虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ヨコハマメリー」

toshi202006-05-18

監督:中村高寛
公式サイト:http://www.yokohamamary.com/


 「あの白い化粧は仮面なのよ」と作家は言った。



 白いドレスに白い厚化粧。横浜は伊勢佐木町に立つ老婆がいた。
 彼女は娼婦だった。名を「ハマのメリー」という。・・・らしい。俺は、横浜にはあまり縁がないのでよく知らない。


 そして監督自身もまた、彼女を追いかけながら、彼自身が多くを知っているわけではない。彼は1975年生まれ。俺と同い年なのだ。
 彼が20歳前後の95年。彼女は突如伊勢佐木町から姿を消した。行方を知るものはようとしていない。彼女は人々の断片的な記憶の中で生きる幻の存在となった。何を持って、監督の中村氏が彼女に深い興味を抱いたのかはわからないが、彼はその幻を熱心に追い、そしてこの映画が完成したわけである。
 この作品は、「ハマのメリー」についてのドキュメンタリー映画である。

 彼女について、多くの映像資料があるわけではない。手がかりの少ない彼女の実像を探る鍵は、近しい人たち、そして彼女にかつて関わり、または深い影響を受けた人々からの証言。それらを積み重ねることで、監督は彼女の人生を浮かび上がらせようとする。その中で、彼は彼女と深い親交を持ち、経済面でも彼女を支援してきた一人の男性に出会う。
 それが、シャンソン歌手・永登元次郎だった。彼は、末期のがんに冒されていた。


 この映画はある監督の意志がある。それはあくまでも、彼自身から見た、彼女の肖像にこだわったことにある。数少ない映像資料、膨大な数残る彼女の写真を丁寧に挟み込み、彼女に魅せられた女優、作家、歌手たちの彼女と関わる中で知った人となり、そして彼女が生きてきたであろう背景を、浮かび上がらせる。それははっきりくっきりとしたものではない。人の主観、思い込み、その他もろもろを含みながらも、彼女をかたづくる点と線によって、ぼんやりとした像が見えてくる。
 戦後の混乱期から娼婦を続けた彼女の、生き様、抱えてきたあらゆる苦難。彼女の後ろには、何十、何百、いやもしかしたら何千の、無数に及ぶ「メリーさん」がいたのだ。いまの「ぼくたち」には想像することしかできないけれど、彼女はその時代を駆け抜けた女たちの残滓だったのだと、この映画は語る。



 やがて、映画は永登元次郎とメリーさんの物語はエピローグへと向かう。いよいよがんが進行し、病院暮らしを余儀なくされていた永登氏が、病身を押して慰問をしに行くある場所。ここで茫洋としていた「ハマのメリー」という名のパズルにピタリとハマる、最後にして最大のピースが現れる。そのとき、突如それはくっきりとした像を描く。
 俺と同い年の監督が追いかけた幻はここで完璧な像を造る。その瞬間、俺は泣いた。


 彼女の人生の多くは、実はまだようとしてわからない。それでもなお、監督は自らの足で、横浜の奇人のような一人の女性に、ひとつの明確な人格を見せつけた。それはひとりの青年から見た幻かもわからない。だが、娼婦の化粧は夜の仮面。幻もまた真実なのだ。
 だって、それが「映画」じゃない?幻の中に真実を映す。あえて、作為ぎりぎりのラストを持ってきたところに、これは「ヨコハマメリー」という名の「映画」なのだという監督自身の宣言を見た気がした。傑作である。(★★★★★)