虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ヒストリー・オブ・バイオレンス」

toshi202006-03-27

原題:A History of Violence
監督:デビッド・クローネンバーグ 脚本:ジョシュ・オルソン
公式サイト:http://www.hov.jp/


 至って普通の娯楽作である。
 陰惨な過去を内包した男、彼を愛した妻、そして二人で築き上げた家族。男はレストランで働き、真面目に勤めあげている。ごくごく平凡だけど、幸福な生活を送る男。だが、ひとつの事件が起こる。その事件で男は、一躍英雄としてマスコミに取り上げられるが、その狂騒が男の過去を、白日の下にさらしていく。暴力が、更なる暴力を呼び、暴力は妻の不信を増幅していく。やがて少しずつきしみ始める家庭。
 男は、禍根のすべてを断ち、家庭を取り戻そうとする。忌まわしい過去において身につけた力を用いても。




 娯楽作品としてみればいくらでも見られる。ていうか脚本の意図はあくまで娯楽として作られているだろう。


 だが、娯楽作品であろうとも、そこに意図を用いて演出すればそれは「政治性」を持ち得る。そのことをクローネンバーグ監督は知っている*1。殺人はいけない。暴力はいけない。なんでだろう。なぜ人を殺してはいけないのか。この映画は、暴力の結果そのものを映し出すことで、暴力の醜悪さを見せ付ける。

 「ミュンヘン」は報復という正当化される暴力の魅惑とその結果を描いた。「ブロークバック・マウンテン」は無邪気すぎる恋愛が抱える暴力性を描いた。本作は、人間が突き動かれるように用いる暴力そのものの原罪を描いている。しかも、かなり恣意的に。
 この映画は、普通の娯楽作品が普通に用いる暴力を、その結果まで見せてしまうという演出を入れている。まあ、はっきり言えば嫌がらせである。しかし、その嫌悪感は、実は、現実に起こる暴力そのものの嫌悪感である。クローネンバーグ監督は己のカメラを通して、暴力によって人が「物質化」する様を冷徹に映し出したに過ぎない*2


 ラストに囲む、家族の食卓の沈黙、そしてそこへゆっくりと現れ目を伏せながら席に座り、妻の顔色を伺うように見上げる主人公。彼の行動の意味をあなたはどう受け取るだろうか。この映画は答えを示さないが、実はもう、答えは出ている。それはあなたがこの映画に感じるであろう「嫌悪感」の中にある。(★★★★)

*1:http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060304

*2:それはクローネンバーグから見た暴力そのものだ