虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「白バラの祈り/ゾフィー・ショル、最期の日々」

toshi202006-02-05

監督:マルク・ローテムント
原題:Sophie Scholl-Die letzten Tage
公式サイト:http://www.shirobaranoinori.com/


 「天国で会おうぜ。」



 21歳でナチスによって処刑された、一人のドイツ人女性の実話を、証言や尋問資料を基に映画化した作品。


 1943年ドイツ。ナチスが慚愧に堪えぬ非道を繰り返しながら、圧倒的な情報統制という名のマトリックスによって、ドイツ国民は自分たちが世界からどのような目で見られているかすら知らされていなかった。だが、真実は少しずつ浸透し、反ナチ運動が静かに広がっていた。「白バラ」は学生を中心とした非暴力レジスタンス組織。だが、ナチスが恐れたのは、彼らの行動だった。
 彼らの武器は「情報」という名の真実だったからだ。彼らはビラを巻くことで、反ナチス運動への機運を高めようとしていた。ナチスが築き上げてきた国民の狂信を突き崩そうとする彼らの行動は、ナチスにとって最もしてはならない行いだった。


 ゾフィー・ショルは生粋のドイツ人でありながら、「白バラ」の一員で日々組織の中心人物であった兄とともに行動していた。だが、ミュンヘン大学でビラをばらまいた嫌疑でゲシュタポに捕らえられ、その日から執拗な尋問が始まる。無実を主張し、ゲシュタポの尋問官・モーアと心理的な駆け引きによってモーアも無実を信じかけるが、やがて、自宅から動かぬ証拠が上がり、彼女の嫌疑はかぎりなく黒となった。証拠を突きつけられるや、彼女は自分の信念を語り、ドイツが如何にナチスによって狂わされたかを語る。彼女の言葉はモーアの心を乱すと同時に彼にとってその言葉は脅威だった。彼の尋問官としての地位は、ナチスあってこそもたらされた。その最大の恩義あるナチスが狂った組織だと、息子と同じくらいの年頃の娘が言う。なぜ死を賭してまで、彼女はそんなことを言う?なんと哀れなむすめだろうか。
 そして彼は仲間の名前を言えば死刑が免れるように便宜をはかるという、最大の譲歩を見せる。


 だが、彼女は拒否する。仲間を売るなどあり得ない。こうして、彼女は自らの意志で絶望の道を選ぶ。


 見ていて思ったのは、自分などにはお呼びもつかないほどの覚悟である。予告編なんかをみると、うら若き女性が花を散らした、という感じに宣伝されていたし、ゾフィーを演じるユリア・イェンチは実に愛らしいお嬢さんのような容貌で熱演してるのだけれど、台詞だけ見ていると言葉の端々から男気を感じる。

 生前の彼女のカットがエンディングで出てくるんだけれど、その中にはっとするほど男らしい雰囲気を漂わせている横顔を見せる一枚があって、俺は確信する。彼女は侠気の女だ。仁義の女だ。例え死を眼前に突きつけられようと、義理と人情量りにかけりゃ、義理が重たいレジスタンス。そもそも「あの」ナチスに抵抗しようって女である。よほどのタマでなければ渡れない橋である。
 たとえ死という現実をちらつかせても「仲間は売らネェ。死んでも。」(筆者意訳)とつっぱねる。かっこいい。そして、不公平な裁判「人民法廷」で高圧的に暴言吐きまくるフライスラー裁判長に対しても決して臆することはなく、最終弁論ではこう言い放つ。


 「てめえもいつか、こっちの席に座る日が来るぜ。」(筆者超訳


 しびれる。この女、侠だ。下手なディストピアも真っ青な当時のドイツで、右も左も味方はいない、そんな状況で凛と立つ女。これは彼女がナチスに対して行った心の戦争である。死の瞬間まで侠でありつづけた、そして、判決後、99日の猶予すら与えられず即日に死刑執行。断頭台の露と消えた、そんな彼女の生き様は男こそみろ!・・・などと言ってみる。(★★★★)